出典 |
フットノート |
ローマ 4:4 注2 |
神の義認は、わたしたちの良いわざ(労働)に対する報酬(賃金)ではありません。それはキリストの贖いを通して、わたしたちに無代価で与えられる恵みです。もし神の義認がわたしたちの良いわざに基づいているとしたら、あるいは、それがわたしたちの良いわざを要求するとしたら、それは、わたしたちが自分の良いわざに対して受け取る賃金となります。すなわち、それはわたしたちが当然得るべきものであって、神が無代価で与えられるものではありません。神の義認は、神の恵みによると認められるのですから、それはもはや行ないによるのではありません。そうでないと、恵みはもはや恵みではなくなります(11:6)。わたしたちの行ないは、決して神の恵みに置き換わることはできません。神の恵みは絶対的でなければなりません。 |
ローマ 4:7 注1 |
原文は、複数。 |
ローマ 4:11 注2 |
13節(13節)のノート2を参照。 |
ローマ 4:11 注1 |
割礼は、アブラハムが義とされたことの理由ではありませんでした。それは、神がすでに彼を義とされたことの外側の印、確認でした。それは、天然の力を切り落とすことを示します。その天然の力によって、彼はイシマエルを生み、神を喜ばせようとしたのです。アブラハムは割礼を受ける前、すでに義とされていました。そして神はアブラハムとの契約を、創世記第15章ですでに確認されたのです。割礼は、アブラハムの側から契約を確認し、彼がもはや自分の天然の力やエネルギーを用いて神を喜ばせようとするべきではないことを、絶えず彼に思い起こさせました。 |
ローマ 4:12 注1 |
ギリシャ語は、「規定された、確定的な方法で歩く」ことを意味します(参照,ガラテヤ5:25のノート2とピリピ3:16のノート4)。ここでは、信仰の基本原則に沿って(それを順守して)、その足跡を歩くことを言っています。人がもしアブラハムの信仰の足跡を歩くのでしたら、アブラハムは彼にとって割礼の父となり、この人は、自分自身にではなく神に信頼する生活の中に入ります。その結果、彼は主観的に義とされ、こうして神の真の相続人となるのです。 |
ローマ 4:13 注1 |
義認は、神の選ばれた者が世界を相続し、地上で神の統治を執行するためです(創1:26)。 |
ローマ 4:13 注2 |
律法は、旧約の人に対する神の一時的なエコノミー(経綸)でした。なぜなら律法は、人の違犯のゆえに臨時的に付け加えられたものであるからです(ガラテヤ3:19)。信仰は、新約の人に対する神の永遠のエコノミー(経綸)です。なぜなら信仰は、神の永遠のご計画に基づいているからです(参照,Iテモテ1:4のノート4)。旧約では、神は律法にしたがって人を取り扱われました。人がもし、神のあの経綸にしたがって、神が律法の中で命じられたことを行なうのでしたら、義、すなわち律法の義(9:31)、律法による義(10:5.ピリピ3:9)を獲得します。新約では、神は信仰にしたがって人を取り扱われます。人がもし、神のこの経綸にしたがって、神が人に信じるよう定められたキリストを信じるのでしたら(Iヨハネ3:23)、義、すなわち信仰の義(11節)、信仰による義(9:30.10:6)を獲得します。神が新約エコノミーの中で定められた信仰は、旧約の律法に置き換わりますが、新約時代まで来ませんでした(ガラテヤ3:23,25)。律法に置き換わった信仰は、わたしたちにとって客観的です。この客観的な信仰にしたがって、わたしたちが信じるよう神が意図されたキリストを主観的に信じる時、わたしたちは信仰の義を受けます。この義は、わたしたちが所有するキリストです。わたしたちは彼を、神が定められた客観的な信仰にしたがって、主観的に信じることによって受けます。彼は、わたしたちが受けた神の義としてのキリスト(Iコリント1:30)です。 |
ローマ 4:16 注1 |
アブラハムは、神に召されたすべての者の父であり、神に選ばれた新しい種族の初めでした。わたしたちは堕落したアダムの種族に生まれましたが、再生されて、召されたアブラハムの種族に入れられました。信仰の者はすべて、アブラハムのように、この新しい種族の人であり、アブラハムの子です(ガラテヤ3:7)。 |
ローマ 4:17 注1 |
アブラハムは、二つの事柄について神を信じました:(1)イサクの誕生、これは、「無から有を呼び出される」神と関係があります。(2)イサクをささげることと再び得ること、これは、「死人に命を与え」る神と関係があります。アブラハムはそのような神を信じ、彼を自分の状況に適用しました。アブラハムはそのような信仰を持っていたので、イサクの誕生についての不可能と見える神の言葉を信じました。そして彼は、イサクをささげよとの神の命令にも直ちに従いました。それは、神が彼を死人の中から復活させると信じてです(ヘブル11:17―19)。 |
ローマ 4:17 注2 |
これは、神の復活の偉大な力です。この偉大な力はわたしたちに、死を取り除かせ、死に属するすべてのものに打ち勝たせます。アブラハムは、神の命令にしたがってイサクをささげた時に、この復活の偉大な力を経験しました。 |