出典 |
フットノート |
ローマ 5:2 注4 |
「勝ち誇る」は、ギリシャ語では「歓喜する」という意味もあります。これは、わたしたちが神を享受することをも示しています。次の節も同じです。 |
ローマ 5:3 注1 |
患難は、第8章28節(8:28)の「すべて」の一部です。神はそれをわたしたちの益のために共に働かせて、わたしたちを聖別し、造り変え、栄光の中に入られた御子のかたちに同形化されます。このことのゆえに、わたしたちは患難を、甘い訪れと恵みの化身として受け入れ、こうしてその中で勝ち誇ることができます。聖霊は患難を通して、天然の人を殺すキリストの十字架の効果をわたしたちの内側に適用し、復活の神が、わたしたちにご自身を加える道を造ります(参照,IIコリント4:16―18)。 |
ローマ 5:3 注2 |
「堅忍すること」を意味します。堅忍は、忍耐と苦難の産物です。 |
ローマ 5:4 注1 |
練達は、患難や試練を耐え忍び、経験した結果、良しと認められた性質、特質です。 |
ローマ 5:5 注1 |
神の愛は神ご自身です(Iヨハネ4:8,16)。神はこの愛を聖霊と共に、わたしたちの心に注ぎ出されました。聖霊は、あらゆる患難の中で、わたしたちが勝ち得て余りがあるようにと、内側で活気づける力として、わたしたちに与えられています(参照,8:39のノート1)。ですから、わたしたちがどのような患難でも耐え忍ぶなら、恥をかかせられることはありません。 |
ローマ 5:6 注1 |
すなわち、無能であった。神を喜ばせることができない。 |
ローマ 5:10 注1 |
なだめと罪の赦しは、罪人のためには十分ですが、敵のためには不十分です。敵のためには和解を必要とします。和解はなだめと赦しを含みますが、それ以上であって、両当事者間の衝突を解決します。わたしたちが神に和解させられるのは、キリストの贖いに基づきます。そしてそれは、神の義認を通して達成されました(3:24.IIコリント5:18―19)。和解は、信仰によって義とされることの結果です。 |
ローマ 5:10 注4 |
キリストの命の中で救われるとは、命としてのキリストご自身の中で救われることです。彼はわたしたちに内住されますから、わたしたちは彼と有機的に一です。キリストの命がわたしたちの中で成長することによって、わたしたちは彼の全き救いを極みまで享受します。贖い、義認、和解は、わたしたちを彼との結合にもたらすためです。こうして、キリストはわたしたちを、彼の命の中で栄光化されるまで救うことができるのです(8:30)。 |
ローマ 5:10 注5 |
復活を暗示します。この節の前半で死が語られた後、命が述べられています。キリストが死なれたのは、彼が復活の中でわたしたちの命となるためです。わたしたちはキリストの死によって、神の永遠の裁きと永遠の刑罰から救われましたが、キリストの復活の中で彼の命によって、なおも救われつつあります。ここの命、第1章16節(1:16)の力、第8章のその霊は、手順を経た三一の神のさまざまな面を言っています。 |
ローマ 5:10 注3 |
キリストの死を通して神に和解させられるのは、すでに成就された事です。しかし、多くの否定的な事柄から栄光化されるまで神の命の中で救われるのは、日ごとの事です。 |