出典 |
フットノート |
ローマ 6:3 注2 |
わたしたちは第一の人、アダム(Iコリント15:45,47)の領域の中で生まれました。しかしバプテスマを通して、キリスト、第二の人(Iコリント15:47)の領域に移されました(Iコリント1:30.ガラテヤ3:27)。 |
ローマ 6:3 注1 |
バプテスマは形式や儀式ではありません。それは、わたしたちとキリストとの一体化を意味します。バプテスマを通して、わたしたちはキリストの中に浸し込まれ、キリストをわたしたちの領域とします。それは、わたしたちがキリストの死と復活の中で、彼と一つに結合されるためです。 |
ローマ 6:3 注3 |
わたしたちがキリストの中へとバプテスマされる時、彼の死の中へとバプテスマされます。彼の死は、わたしたちをこの世と暗やみのサタン的力から引き離し、わたしたちの天然の命、古い性質、自己、肉、さらに、わたしたちのすべての歴史さえ終わらせました。 |
ローマ 6:3 注1 |
バプテスマは形式や儀式ではありません。それは、わたしたちとキリストとの一体化を意味します。バプテスマを通して、わたしたちはキリストの中に浸し込まれ、キリストをわたしたちの領域とします。それは、わたしたちがキリストの死と復活の中で、彼と一つに結合されるためです。 |
ローマ 6:4 注2 |
キリストと彼の死は一つです。キリストから離れて、わたしたちは彼の死の中へとバプテスマされることは決してできませんでした。なぜなら彼の効力ある死の要素は、復活された、すべてを含む方の中にだけ存在するからです。 |
ローマ 6:4 注1 |
わたしたちの古い人は、キリストと共に十字架につけられ(6節)、死の中へとバプテスマされることを通して、彼と共に葬られました。天然の領域では、人はまず死んでから葬られます。ところがパウロの言葉は、霊の領域では、わたしたちはまず葬られ、次に死ぬことを示しています。わたしたちは直接死ぬのではなく、バプテスマを通して、キリストの死の中に入るのです。 |
ローマ 6:4 注3 |
神性の現れを言います。 |
ローマ 6:4 注4 |
バプテスマの後、わたしたちは復活の中で新しい人になります。復活は将来の状態だけではなく、現在の過程でもあります。命の新しさの中を歩くとは、今日、復活の領域の中で生き、命の中で支配することを意味します。このように生きることは、わたしたちの内側のアダムに属するものをすべて対処し、わたしたちが完全に造り変えられ、キリストのかたちに同形化されるまでにします(8:29)。 |
ローマ 6:5 注2 |
キリストの死の様は、4節(4節)で述べられたバプテスマです。キリストの復活の様は、4節(4節)で述べられた命の新しさです。 |
ローマ 6:5 注1 |
これは有機的結合であって、この結合の中で成長が起こります。こうして一方は、もう一方の命と特徴にあずかります。キリストとの有機的結合の中で、キリストが経過されたものはすべて、わたしたちの歴史となりました。彼の死と復活は、今やわたしたちのものです。なぜなら、わたしたちは彼の中におり、彼と有機的に結合されているからです。これは接ぎ木です(11:24)。そのような接ぎ木は、(1) わたしたちのすべての消極的な要素を排除し、(2) 神が創造されたわたしたちの機能を復活させ、(3) わたしたちの機能を引き上げ、(4) わたしたちの機能を豊かにし、(5) わたしたちの全存在に浸透して、わたしたちを造り変えます。 |