出典 |
フットノート |
ローマ 6:16 注1 |
「に至る」は、「という結果になる」とも訳すことができます。後の節も同じです。 |
ローマ 6:16 注1 |
「に至る」は、「という結果になる」とも訳すことができます。後の節も同じです。 |
ローマ 6:18 注1 |
これは、古い人が十字架につけられたからです(6節)。 |
ローマ 6:19 注1 |
義はわたしたちを聖別へと導きます。もしわたしたちが、自分自身を奴隷として義にささげ、自分の肢体を義の武器としてささげるのでしたら、わたしたちの内側の永遠の命であるキリストは、わたしたちの中で働く立場を持ち、わたしたちの内側の各部分を、彼ご自身で浸透してくださいます。こうしてわたしたちは、自然に聖別されます。キリストが浸透することによって、わたしたちの内側の各部分は、自然に聖別されるのです。 |
ローマ 6:19 注2 |
聖別(参照,1:2のノート3)は、地位的な変化(世俗的、この世的な地位から神のための地位へ―マタイ23:17,19.Iテモテ4:3―5)だけでなく、性質における造り変え(天然の性質から霊的性質へ)でもあります。それは、命を与える霊であるキリストが、神の聖の性質を、わたしたちの内なる各部分すべてに浸透することによります(12:2.IIコリント3:18)。 |
ローマ 6:22 注1 |
19節(19節)のノート2を参照。 |
ローマ 6:22 注2 |
この章で語られている性質上の聖別は、命から来るだけでなく(4,23節)、命という結果にもなります。そしてさらに多くの命をもたらして、わたしたちが神聖な命の豊富を享受することができるようにします。 |
ローマ 6:23 注1 |
報酬は、人の働きに基づく、義にしたがった支払いです。神の目に、すべての人の神のない行動は罪であり、人の働きであって、それが受ける報酬は死です。 |
ローマ 6:23 注2 |
死は罪から来るものであり、またその結果です。しかしながら、ここで述べられている死は、肉体の死と永遠の死であるだけでなく、人が日常、巻き込まれている死でもあります(参照,5:12のノート4)。 |
ローマ 6:23 注3 |
永遠の命とは、三一の神ご自身の命です。この命は、わたしたちが神によって義とされたことに基づいて、わたしたちの中に分け与えられました。そして今や、聖別と造り変えを通して、わたしたちの全存在に広がりつつあります。この結果、わたしたちは主のかたちに同形化され、主の栄光にもたらされます。それはわたしたちが、主の栄光の出現にあずかるのにふさわしくされるためです(コロサイ3:4)。 |