出典 |
フットノート |
ローマ 7:1 注1 |
1節から6節(1―6節)は第6章14節(6:14)の継続であって、わたしたちがなぜ律法の下にいないかを説明します。一方で、律法は存在し続けます。なぜなら神は、それを取り消したり、無効にしたり、廃棄したりされなかったからです。もう一方では、わたしたちの古い人、すなわちこれらの節に述べられている最初の夫が、十字架につけられたゆえに(6:6)、わたしたちはもはや律法の下にいませんし、律法とは何の関係もありません。わたしたちはキリストの妻となりました。すなわち、キリストに依り頼む者となりました。 |
ローマ 7:2 注1 |
堕落した人は、神の妻としての正当な立場を離れて夫となろうとしたために(参照,4節のノート1)、神はとうてい守ることのできない律法を与えられました。律法は妻のためではなく、夫のために与えられています。律法が与えられたのは、それが守られるためではなく、古い人が暴露されるためでした(5節.3:20.5:20)。ですから、この節は「夫に関する律法」としての律法を語っているのです。 |
ローマ 7:2 注2 |
ここの夫(最初の夫)は、肉や律法ではなく、第6章6節(6:6)に述べられた古い人、キリストと共に十字架につけられた者です。ですから1節から6節(1―6節)は、第6章6節(6:6)と一致します。 |
ローマ 7:2 注1 |
堕落した人は、神の妻としての正当な立場を離れて夫となろうとしたために(参照,4節のノート1)、神はとうてい守ることのできない律法を与えられました。律法は妻のためではなく、夫のために与えられています。律法が与えられたのは、それが守られるためではなく、古い人が暴露されるためでした(5節.3:20.5:20)。ですから、この節は「夫に関する律法」としての律法を語っているのです。 |
ローマ 7:3 注1 |
これらの節で述べられた第二の夫のことを言っており、それはキリストです。 |
ローマ 7:3 注1 |
これらの節で述べられた第二の夫のことを言っており、それはキリストです。 |
ローマ 7:4 注1 |
わたしたちの古い人、すなわち古い夫が、キリストと共に十字架につけられたので(6:6)、わたしたちは彼の律法から解放され、新しい夫、キリスト、いつまでも生きておられる方に結び付けられます。わたしたち信者には、二つの身分があります。この節の最初の「あなたがた」は、堕落した古い人としての、古い身分にあるわたしたちのことを言います。それは、神に依り頼む妻としての本来の立場を離れ、自分で決めた夫とかしらを取り、神に対して独立した地位を取りました。この節の二番目の「あなたがた」は、再生された新しい人としての、新しい身分のわたしたちのことを言います。それは、神の真の妻として、わたしたちの本来の正当な立場に回復された(イザヤ54:5.Iコリント11:3)、神に依り頼み、神をかしらとするものです。わたしたちは十字架につけられたので、もはや夫という古い身分を持っていません。わたしたちは今や、正当な妻という新しい身分を持つだけです。この身分で、わたしたちはキリストを自分の夫とし、もはや古い人によって生きるべきではありません。すなわち、もはや古い人を自分の夫とはしません。 |
ローマ 7:4 注1 |
わたしたちの古い人、すなわち古い夫が、キリストと共に十字架につけられたので(6:6)、わたしたちは彼の律法から解放され、新しい夫、キリスト、いつまでも生きておられる方に結び付けられます。わたしたち信者には、二つの身分があります。この節の最初の「あなたがた」は、堕落した古い人としての、古い身分にあるわたしたちのことを言います。それは、神に依り頼む妻としての本来の立場を離れ、自分で決めた夫とかしらを取り、神に対して独立した地位を取りました。この節の二番目の「あなたがた」は、再生された新しい人としての、新しい身分のわたしたちのことを言います。それは、神の真の妻として、わたしたちの本来の正当な立場に回復された(イザヤ54:5.Iコリント11:3)、神に依り頼み、神をかしらとするものです。わたしたちは十字架につけられたので、もはや夫という古い身分を持っていません。わたしたちは今や、正当な妻という新しい身分を持つだけです。この身分で、わたしたちはキリストを自分の夫とし、もはや古い人によって生きるべきではありません。すなわち、もはや古い人を自分の夫とはしません。 |
ローマ 7:4 注2 |
この結び付きは、妻としてのわたしたちの新しい身分において、パースン、名前、命、存在の中で、復活におけるキリストと、有機的な結合を持っていることを示します。 |
ローマ 7:4 注3 |
再生された新しい人、キリストの妻として、わたしたちであること、行なうことはすべて、今や神と関係があります。そして神が、わたしたちの命の実、あふれ出として、わたしたちによってもたらされます。これは死に至る実(5節)と対照的です。それは、以前には古い人、古い夫であったわたしたちによってもたらされたものです。 |