出典 |
フットノート |
ローマ 7:5 注1 |
罪と激情は、原文はいずれも複数。 |
ローマ 7:6 注1 |
古い人が十字架につけられたからには、再生された新しい人は、今や古い人の律法から解放されています(2―3節.ガラテヤ2:19)。律法は妻にではなく、古い夫、古い人に与えられたからには、そして古い夫、古い人が十字架上で死んだからには、新しい人、妻は、夫の律法から解放されています。 |
ローマ 7:6 注4 |
わたしたちの再生された人の霊のことを言います。この中に、霊なる主は住まわれます(IIテモテ4:22)。わたしたちの再生された霊に関するものはすべて新しく、わたしたちの霊から出てくるものはすべて新しいです。わたしたちの再生された霊は、新しさの源です。なぜなら、主、神の命、聖霊が、そこにおられるからです(参照,1:9のノート2)。 |
ローマ 7:6 注3 |
第6章4節(6:4)での命の新しさは、キリストの復活と結合されることから生じます。そしてそれは、わたしたちの日常生活における歩みのためです。ここの霊の新しさは、律法から解放されて、復活したキリストに結び付けられることから生じます。そしてそれは、わたしたちが神に仕えるためです。ですから、霊の新しさと命の新しさはいずれも、古い人が十字架につけられた結果です。 |
ローマ 7:6 注2 |
文字どおりには、奴隷として仕える。 |
ローマ 7:7 注2 |
律法は神を描写し、説明します(レビ19:2)。ですから、律法は堕落した人に、多くの要求と規定を置きます。それは、罪が罪として現れ、人に罪を知らせるためです(3:20.4:15.5:20)。こうして、人は律法によって暴露され、征服させられます(3:19)。 |
ローマ 7:7 注1 |
7節から25節(7―25節)で、パウロは主を信じる前の自らの経験を用いて、律法の下で善を行なって神を喜ばせようとすることのみじめさを、描写しています。この区分では、人の霊も神の霊も述べられていません。むしろ人の魂の意志と思い(19,23節)が、天然の命の善によって神を喜ばせようとする(18―19,21節)ことが述べられています。これは、救われていない人の状態ですが、ほとんどすべてのクリスチャンは、救われた後、このような経験をしています。 |
ローマ 7:7 注3 |
第十番目の戒め、「むさぼってはならない」は、外側の行ないを言うのではなく、人の内側(おもに人の思いの中の)罪を言っています。これは、人の問題はただ外側の罪深い行ないについてだけでなく、人の内に住んでいる罪についてであることを見せています。 |
ローマ 7:8 注1 |
この章、特にこの節と11(11節)、17(17節)、20節(20節)は、罪がパースン、サタンの化身であって、わたしたちの内側で生きており、行動していることを示します。 |
ローマ 7:10 注1 |
罪が律法を通して、人の良心の中で、また神の御前で、人をのろいと罪定めにもたらすことによって、人が死に渡されることを言っています(4:15.5:13,20)。 |