出典 |
フットノート |
ローマ 7:18 注3 |
ここでパウロは、善なるものが住んでいないというのは肉の中でのことであって、人の全存在ではないと、注意深く語っています。人の他の部分には、善は確かに存在します。意志は思いの中の善の法則にしたがって(22―23節)、神を喜ばせることを願います(18―21節)。しかしこの善を、体を通して遂行することは不可能です。なぜなら体は、罪が住んでいる肉となってしまったからです。 |
ローマ 7:18 注1 |
内側の主観的な知覚(参照,6:6のノート1)。 |
ローマ 7:18 注4 |
善を行なおうとするのは、律法に戻ることです。わたしたちの思いの中の善の法則(22―23節)は、神の律法と一致します。そしてその要求に反応し、それを守ろうとします。 |
ローマ 7:21 注1 |
20節(20節)に述べられている事実に基づいて、パウロは、罪の法則は自分の中に住んでいる罪であり、悪が自分と共にあることを発見しました。23節(23節)で彼は、この法則が自分の肢体の中にある罪の法則であることを認識しました。 |
ローマ 7:21 注2 |
ギリシャ語は、「性格が邪悪であるもの」を意味します。これはサタン自身の邪悪な命、性質、性格に違いありません。そしてそれはわたしの中に住んでいる罪です。罪がわたしたちの中で潜伏している時、それは罪にすぎません。しかし、わたしたちが善を行なおうとして、それが内側で呼び覚まされる時、「悪」となります。 |
ローマ 7:22 注1 |
神の書かれた律法のことを言っています。 |
ローマ 7:23 注1 |
信者の三つの異なる部分(霊、魂、体)には、三つの異なる法則があります。第7章と第8章に啓示されたように、これら三つの法則は、宇宙における三つの当事者から出てきます。肢体の中の罪と死の法則(23節)は、信者の体の中にあり、サタン、すなわち信者の肉の中に住んでいる罪から出てきます。思いの中の善の法則(23節)は、信者の魂の中にあり、天然の人の命、すなわち人自身から出てきます。命の霊の法則は、信者の霊の中にあり、神、すなわち信者の霊の中に住んでおられるその霊から出てきます(8:2,16)。これら三者は、その三つの法則を伴い、今、現に信者の中にあります。それはこの三者(神、人、サタン)がエデンの園にいたのと同じです(創第3章)。信者の内側の三つの法則に加えて、その外側には神の律法があります(22,25節)。 |
ローマ 7:23 注2 |
ここの戦いは、体の肢体の中にある罪の法則と、魂の思いの中にある善の法則との戦いです。それは絶対に、肉の中の罪が、天然の人の中にある善に対して戦っていることであって、わたしたちの霊や神の霊とは無関係です。ですからそれは、ガラテヤ人への手紙第5章16節から25節(ガラテヤ5:16―25)の戦い、すなわち、神の霊と混ざり合っているわたしたちの霊と、肉との戦いとは異なります。 |
ローマ 7:23 注3 |
神に対して独立している人は、肉の中の罪の法則を対処することができません。なぜなら、この法則は、サタン自身の強力な人格だからです。 |
ローマ 7:24 注1 |
肉によって律法を守ろうとすることは、結果として死と苦悩になります。人は肉になり、罪の下に売られました(14節)。人の肉の中には善なるものが住んでおらず(18節)、人は罪を征服することができません(15―20節)。このような人が神の律法を守ろうとしても、必ず失敗します。 |