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出典

フットノート

ローマ 8:9 注2 すなわち、ホームを造る、居住する(参照,エペソ3:17)。わたしたちが三一の神のその霊に、内側にご自身のホームを造っていただく、すなわち、十分な部屋をもって、わたしたちの中に住みついていただくなら、わたしたちの経験では、わたしたちは霊の中にいて、もはや肉の中にはいません。そうであれば、その霊である三一の神は、わたしたちの霊から(10節)、思いに代表される魂へ広がることができ(6節)、最終的に、わたしたちの死ぬべき体にさえ、命を与えてくださいます(11節)。
ローマ 8:9 注3 これは、わたしたちがキリストのものであるのは、彼の霊にかかっていることを見せています。もしキリストの霊がないなら、あるいはキリストがその霊でないなら、わたしたちがキリストに結合されてキリストのものとなる道はないでしょう。しかしながら、キリストはその霊であり(IIコリント3:17)、わたしたちの霊の中におられ(IIテモテ4:22)、わたしたちと一つ霊です(Iコリント6:17)。
ローマ 8:9 注4 神の霊とキリストの霊は二つの霊ではなく、一つの霊です。パウロはこれらの名称を交換的に用いて、2節(2節)の内住する命の霊が、三一の神全体の、すべてを含む、命を与える霊であることを示しています。神、その霊、キリスト(神格の三)が、すべてこの節で述べられています。しかしながら、わたしたちの中に三があるのではなく、ただ一つ、三一の神の三一の霊があるだけです(ヨハネ4:24IIコリント3:17ローマ8:11)。「神の霊」とは、この霊が、永遠の過去からおられ、宇宙を創造した、万物の起源なる方であることを意味します。「キリストの霊」とは、この霊が、受肉された方、キリストの化身、実際であることを意味します。このキリストは、神のご計画を成就するために必要なあらゆることを達成されました。キリストは、永遠から所有していた神性だけでなく、彼が受肉を通して得た人性をも持っておられます。彼はまた人の生活、十字架、復活、昇天をも含んでおられます。これは、復活におけるキリストの霊、すなわち、わたしたちの霊に内住しておられるキリストご自身です(10節)。彼は、手順を経た三一の神の化身であるご自身を、復活の命として、またわたしたちの天然の中にある死を対処する力として(2節)、わたしたちの中へ分け与えておられます。こうして、わたしたちは今日、混ざり合った霊の中で生きることによって、キリストの復活の中で、キリストご自身の中で生きることができるのです。
ローマ 8:9 注5 変わり得る状態と経験ではなく、変わることのない源と地位のことを言っています。わたしたちは新生という源にしたがって、キリストの霊を持っています。ですから、わたしたちはキリストのものであり、彼に属しているのです。しかしながら、わたしたちの現在の経験と霊的状態では、彼に属するだけでなく、彼の中にいる必要があります。
ローマ 8:10 注1 この節では、その霊は述べられていません。なぜならここでの強調は、キリストが今日その霊であり、キリストの霊はわたしたちの中のキリストであるからです。事実によれば、それはキリストです。経験によれば、それはその霊です。わたしたちが彼を経験することでは、彼はその霊です。わたしたちが彼を礼拝し、彼を呼び求め、彼を語ることでは、彼はキリストです。わたしたちは彼を、わたしたちの救い主、贖い主として受けますが、彼はわたしたちの中にその霊として入られます。贖い主として、彼は「キリスト」という称号を持たれます。内住する方として、彼は「その霊」という称号を持たれます。わたしたちの中に住んでいるのは、二人ではなく、二つの面を持つひとりの内住する方です。
ローマ 8:10 注2 「キリストがあなたがたの中に」は、ローマ人への手紙の主要点です。第3章で、キリストは十字架上でわたしたちの贖いのために血を流されます。第4章で、彼は復活の中です。第6章では、わたしたちが彼の中にいます。今や第8章では、彼はわたしたちの中におられるその霊です。
ローマ 8:10 注3 わたしたちが主を信じる前、わたしたちの内側の霊は死んでおり、外側の体は生きていました。今やわたしたちはキリストを内に持っているので、外側の体は罪のゆえに死んでいますが、内側の霊は義のゆえに命です。キリストが命としてわたしたちの中に入ってこられると、わたしたちの体の死の状態を暴露します。わたしたちの霊には、義としてのその霊なるキリストがおられ、その結果は命です。しかしわたしたちの肉には、罪としてのサタンがいて、その結果は死です。
ローマ 8:10 注4 人の堕落のゆえに、罪は死を伴って人の体に入り、それを神の事柄では死と無能なものにしました。神は肉において罪を罪定めされましたが(3節)、この罪はまだ人の堕落した体から、根こそぎにされ、根絶されてはいませんでした。ですから、わたしたちの体はまだ死んでいるのです。
ローマ 8:10 注5 再生された人の霊は、堕落した人の体と対照的です。この霊は神の霊ではありません。なぜなら、ここで述べられている霊が命であるのは、キリストがわたしたちの中におられる、という条件においてのみであるからです。神の霊が命であるためには、何の特別な条件も必要ありません。ですから、霊が義のゆえに命であるのは、わたしたちの人の霊を言うことができるだけで、神の霊を言うのではありません。
ローマ 8:10 注7 神の義認において、わたしたちは義を受けました。その義は、わたしたちの中、わたしたちの霊の中に入られた三一の神ご自身です。この義の結果は命です(5:18,21)。ですから、わたしたちの霊は今や、命となりました。
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