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出典

フットノート

ローマ 8:10 注6 わたしたちの霊は、再生され生かされただけでなく、命となりました。わたしたちがキリストを信じた時、彼は神聖な命の霊として、わたしたちの霊の中に入って、それと混ざり合わされ、二つの霊は一つ霊となりました(Iコリント6:17)。今やわたしたちの霊は、生きているだけでなく、命でもあります。
ローマ 8:11 注2 この節には、以下の三つがあります。(1)三一の神全体―「イエスを死人の中から復活させた方」、「キリスト・イエス」、「あなたがたの中に住んでいる彼の霊」。(2)彼の分与のために必要な手順。それは「イエス」(受肉を強調している)、「キリスト」(十字架と復活を強調している)、「復活させた」(復活を強調している)という言葉に暗示されています。(3)彼がご自身を信者たちの中に分与すること。これは「あなたがたの死ぬべき体にも、命を与え」という言葉で示されています。この言葉は、その分与がわたしたちの中心で起こるだけでなく、その周辺に、わたしたちの全存在にも及ぶことを意味します。
ローマ 8:11 注1 第6章で啓示された、キリストの中の死と復活の客観的な事実は、この章で啓示された内住の霊の中ではじめて、わたしたちの主観的な経験となります。
ローマ 8:11 注3 9節(9節)のノート2を参照。
ローマ 8:11 注3 9節(9節)のノート2を参照。
ローマ 8:11 注4 これは、神聖ないやしではなく、わたしたちが神の霊に、内側で彼のホームを造っていただき、彼が神聖な命でわたしたちの全存在を浸透された結果を言っています。このようにして、彼はご自身の命を、わたしたちの死ぬべき、死につつある体に与え、それをいやすだけでなく、それが生かされて、みこころを遂行することができるようにされます。
ローマ 8:12 注1 わたしたちは救われた後、思いを肉に付け、肉にしたがって生きる可能性があります。しかしわたしたちが霊の中にいて、霊にしたがって歩く時、肉から解放され、もはや肉に対する負債者ではありません。
ローマ 8:13 注1 この節で、死ぬ、死に渡す、生きるというのは、霊的な事柄であって、肉体のことではありません。
ローマ 8:13 注3 わたしたちが死に渡さなければならないのは、体そのものではなく、体の行ないです。体は贖われる必要があります(23節)。しかしその行ないは、死に渡される必要があります。この行ないは、罪深い事柄だけでなく、わたしたちの体がその霊から離れて行なうすべての事柄も含みます。
ローマ 8:13 注2 わたしたちは、体の行ないを死に渡さなければなりません。しかしそれを、その霊によって行なわなければなりません。一方では、わたしたちが主導的に、体の行ないを死に渡さなければなりません。その霊が、わたしたちに代わってそれを行なうのではありません。もう一方で、わたしたちは自分の努力によって、聖霊の力によらずに、自分の体を対処しようとすべきではありません。
ここの死に渡すとは、実際的には内住するその霊と、わたしたちが協力することです。内側では、彼がわたしたちの死ぬべき体に命を与えることができる(11節)ために、彼にご自身のホームをわたしたちの中に造っていただかなければなりません。外側では、わたしたちが生きることができるために、わたしたちの体の行ないを死に渡さなければなりません。わたしたちが主導的に体の行ないを死に渡す時、その霊は入ってきて、キリストの死の効力をそれらの行ないに適用し、こうしてそれを殺すのです。
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