出典 |
フットノート |
ローマ 8:14 注2 |
ここの導きは、単なるその霊の行動ではありません。三一の神ご自身が、わたしたちの霊の中で導きとなられるのです。わたしたちが内住するパースンとしての彼に注意を払うのでしたら、自然に彼によって導かれます。 |
ローマ 8:14 注1 |
その霊による導きは、外側のものではなく内側のものであり、命の霊の法則(2節)、その霊(9―13節)、命(6―11節)から成っています。この節は、その霊がわたしたちを導くというよりも、わたしたちがその霊によって導かれることを語っています。それは、その霊がわたしたちを導く用意があっても、わたしたちが主導的に、その霊に導かれなければならないことを示しています。これは、わたしたちが彼をわたしたちの命またすべてとすべきであり、内側にある旧創造のすべてを、死に渡さなければならないことを意味します。わたしたちは、その霊の導きを探し求める必要はありません。なぜなら、その霊はすでにわたしたちの内側にあって、わたしたちの再生された霊に内住しておられるからです。この導きの下で生きるなら、わたしたちの歩みと振る舞いは、わたしたちが神の子たちであることを証明するでしょう。 |
ローマ 8:14 注3 |
ローマ人への手紙の中心思想は、神の救いが罪人を、神の命と性質を持つ神の子たちとし、彼らが神を表現することであり、それは彼らがキリストの肢体となってキリストのからだを構成し、キリストの表現となるためである、ということです。ですから、この章では、子たる身分が強調されているのです(15,23節)。ここの「子たち(sons)」は、16節(16節)の「子供たち(children)」よりも、神聖な命における成長の、さらに進んだ段階を示しています。しかしそれは、17節(17節)の「相続人」ほど進んではいません。「子供たち」は、子たる身分の初期の段階、人の霊の再生の段階を示しています。子たちは、魂の造り変えの段階にいる神の子供たちです。彼らは霊の中で再生され、神聖な命の中で成長しているだけでなく、その霊に導かれて生き、歩いています。相続人は、栄光化の段階にあり、体の変貌を経て、あらゆる部分が完全に成熟した神の子たちです。ですから、彼らは神聖な嗣業を得る合法的な相続人として、資格づけられます(17,23節)。 |
ローマ 8:15 注1 |
わたしたちの再生された人の霊は、神の御子の霊と混ざり合わされています(参照,ガラテヤ4:6のノート3)。この霊における子たる身分は、子の命、地位、生活、享受、長子の特権、嗣業、出現を含んでいます。このようなすべてを含む子たる身分が、今やわたしたちの霊の中にあるのです。 |
ローマ 8:15 注2 |
アラム語で「父」を意味します。わたしたちは再生された後、もはや単なる神の被造物ではなく、神の子供たちです。わたしたちが神から生まれ、命の中で神と関係があるので、神を「父よ」と呼ぶことは、わたしたちにとってとても正常であり、甘いのです(参照,ガラテヤ4:6のノート4)。 |
ローマ 8:16 注2 |
これは今日、神の霊、三一の神のすべてを含む霊が、わたしたちの再生された人の霊に内住し、わたしたちの霊の中で働いておられることを啓示しています。これら二つの霊は一つ霊であり、一つに混ざり合った霊として(Iコリント6:17)、共に生き、共に働き、共に存在します(参照,ヨハネ3:6.4:24とそこのノート)。 |
ローマ 8:16 注1 |
その霊だけが証しするのでも、わたしたちの霊だけが証しするのでもなく、その霊がわたしたちの霊と共に証しするのです。これは、まずわたしたちの霊が主導的に証ししなければならず、それからその霊が、わたしたちの霊と共に証しされることを示しています。 |
ローマ 8:16 注3 |
これは、わたしたちが「アバ、父よ」と叫ぶ時(15節)、その霊がされる証しです。このような証しは、わたしたちが神の子供たちであり、神の命を持っていることをわたしたちに証しし、保証します。それはまた、わたしたちが神の子供たちにふさわしく、この命にしたがって生き、歩くようにと、わたしたちを制限し、規制します。その霊は、わたしたちと神との最も基本的で初歩的な関係、すなわち、わたしたちが神の子供たちであることを証ししているのです。それは、わたしたちが神の子たち、あるいは神の相続人であると証ししているのではありません。ですから、その霊の証しは、わたしたちの霊的な誕生、再生の時から始まります。 |
ローマ 8:17 注1 |
これは、わたしたちが相続人となるには、条件があることを見せています。わたしたちは神の子供たちであるから相続人である、というのではありません。わたしたちは、子供たちとして生まれた後、子たちとなるために命が成長し、合法的な相続人となるために苦難を通り、栄光化されなければなりません。 |
ローマ 8:18 注2 |
文字どおりには、へと、に対して。 |