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出典

フットノート

ローマ 8:29 注4 キリストは永遠から神のひとり子でした(ヨハネ1:18)。彼は神によって世に遣わされた時、やはり神のひとり子でした(Iヨハネ4:9ヨハネ1:143:16)。彼が死を経過し、復活の中に入ることによって、彼の人性は彼の神性へと引き上げられました。ですから、死と復活を経過した彼の人性を伴い、彼の神性において、彼は復活の中で神の長子として生まれました(使徒13:33)。同時に彼の復活の中で、彼のすべての信者は彼と共に復活させられ(Iペテロ1:3)、彼と共に神の多くの子たちとして生まれました。こうして彼らは、彼の多くの兄弟たちとなって、彼のからだを構成し、神の中で彼の団体の表現となったのです。
 キリストは神のひとり子として、神性を持つだけで、人性はありませんでした。彼は神と同じように、自ら存在し、永遠に存在する方でした。彼が神の長子となり、神性と人性の両方を持たれることは、彼の復活で始まりました。神の長子は、神が多くの子たちを生み出される根拠、パターン、要素、手段でした。そして生み出された多くの子たちは、神の長子を信じ、彼と一つに結合された多くの信者です。彼らは命と性質において、御子と全く同じであり、御子と同じように、神性と人性を持っています。彼らは御子の増し加わり、表現であり、永遠の三一の神を、永遠にわたって表現します。今日の召会は、この表現の縮小です(エペソ1:23)。そして永遠における新エルサレムは、この表現の究極的現れとなります(啓21:11)。本書は、神が罪人を神の子たちとされるのはこの表現のためであることを啓示し(12:5)、この表現の究極的現れを示しています(エペソ3:19)。
ローマ 8:30 注1 義とすることは、キリストによって贖われた罪人たちを、律法の罪定めから(3:19)、神が受け入れてくださることへと(5:1―2)導く橋渡しです。神はこのように受け入れて、罪人をご自身の栄光の中へと導き入れるまで(ヘブル2:10)、彼らを御子のかたちに同形化するよう働かれるのです。
ローマ 8:30 注2 栄光化は神の全き救いです。それは、神がその霊を通して、わたしたちの霊を再生するという原則にしたがって、わたしたちの死に属する、死ぬべき罪の体(7:248:116:6)を、彼の命と性質の栄光で、完全に浸透することです。そして、神はこの体を変貌させ、御子の復活した栄光の体に同形化されます(ピリピ3:21)。これは神の全き救いの最終段階です。そこにおいて、神は完全な表現を得られます。それは、来たるべき時代の新エルサレムにおいて、究極的に現されるでしょう。
ローマ 8:33 注1 あるいは、義とするのは神でしょうか?
ローマ 8:34 注1 あるいは、キリスト・イエスは死んで・・・・わたしたちのために・・・・でしょうか?
ローマ 8:34 注2 この節は、キリストが今日、天で神の右におられると述べています。ところが10節(10節)では、彼はわたしたちの内側、霊の中におられると述べています(IIテモテ4:22)。その霊としてのキリスト(IIコリント3:17)は、どこにでもおられます。彼は神の右におられ、同時にわたしたちの中にもおられ、天におられ、同時に地にもおられます。
ローマ 8:34 注3 この節では、キリストがわたしたちのためにとりなしをされますが、26節(26節)では、その霊がとりなしをされます。これは二人のとりなす方ではなく、ひとり、すなわち霊なる主です(IIコリント3:18)。彼は両端で、わたしたちのためにとりなしておられます。おそらく一つの端では、わたしたちの中のその霊が、わたしたちのためのとりなしに着手されます。もう一つの端では、神の右におられるキリストなる主が、そのとりなしを完成されます。それはおもに、わたしたちが彼のかたちに同形化され、彼の栄光へもたらされるためです。
ローマ 8:37 注1 神のわたしたちに対する不変の愛と、キリストがわたしたちのためにすべてを成就されたことのゆえに、患難も迫害も、わたしたちを圧迫し、打ち勝つことはできません。むしろ、これらすべての事柄において、わたしたちを愛してくださった方を通して、わたしたちは勝ち得て余りがあります。
ローマ 8:39 注1 神の愛が神の永遠の救いの源です。この愛はキリストの中にあり、聖霊を通して、わたしたちの心の中に注がれています(5:5)。何ものも、わたしたちをこの神の愛から引き離すことはできません(38―39節)。神の救いにおけるこの愛は、わたしたちに対するキリストの愛となりました(35節)。この愛は、神の全き救いがわたしたちの中で達成されるまで、キリストの恵みを通して、わたしたちのために多くの驚くべき事をします。これらの驚くべき事は、神の敵があらゆる苦難や災難を用いて(35―36節)、わたしたちを攻撃することを引き起こします。しかし、これらの攻撃は、キリストにある神の愛に対するわたしたちの反応のゆえに、わたしたちの益となります(28節)。ですから、わたしたちはあらゆる苦難や災難の中で、勝ち得て余りがあるのです(37節)。
 本書は第8章の終わりまでに、キリストにある神の救いの前半を取り扱いました。一方で、神が受け入れてくださった中で、わたしたちはこの救いの源を享受しています。この源は、キリストにある神の愛です。この愛から、いかなる人、事、物も、わたしたちを引き離すことはできません。もう一方で、わたしたちは神の命の中で、霊なる主によって同形化され、この救いの究極の目標に到達します。すなわち、比類のない神聖な栄光へと入り、神と共に栄光化されます(18,30節)。この救いは、この程度までわたしたちを救うのです。
ローマ 9:1 注1 キリストにある神の救いの前半を取り扱った後、後半に進む前に、第9章から第11章の区分が挿入されています。それは、神の選びの民が、神ご自身の選びであることを詳しく説明するためです。
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