出典 |
フットノート |
ローマ 10:14 注2 |
これは、信じることは言葉を通してであり、言葉に基づくことを暗示します(17節)。 |
ローマ 10:16 注1 |
人の感覚では、福音に従うのは、福音を信じることよりも深いです。わたしたちは福音を信じる前、まず聖霊によって従わせられ、こうして福音に従うのです。福音に従わない者は、神の福音の敵(11:28)、神ご自身の敵となるでしょう。 |
ローマ 11:1 注1 |
第9章と第10章は、神はもともとイスラエルを選ばれたのに、今は彼らを見捨てられたことを示しているかのように見えます。しかしパウロはここで、彼自身とエリヤを例に用いて、そうではないことを証明します。 |
ローマ 11:3 注1 |
文字どおりには、魂。 |
ローマ 11:4 注1 |
バアルはヘブル語で「主人」、「持ち主」を意味し、フェニキヤ人とカナン人の主要な偶像の名称です。 |
ローマ 11:11 注1 |
イスラエルは、つまずきの石であるキリストにつまずきました(9:32)が、倒れたのではありません。彼らは、神の救いが異邦人に及ぶために(使徒13:46)、過ちを犯したにすぎませんでした。これが神の選びにおけるエコノミーです。 |
ローマ 11:16 注1 |
三人の父祖、アブラハム、イサク、ヤコブは、28節(28節)で述べられた「父祖たち」ですが、神の満足のために神にささげられた、練り粉のかたまりの初穂です。彼らはまた、神の栽培されたオリブの木(イスラエル)の枝を支える根でもあります。 |
ローマ 11:16 注1 |
三人の父祖、アブラハム、イサク、ヤコブは、28節(28節)で述べられた「父祖たち」ですが、神の満足のために神にささげられた、練り粉のかたまりの初穂です。彼らはまた、神の栽培されたオリブの木(イスラエル)の枝を支える根でもあります。 |
ローマ 11:17 注1 |
接ぎ木は有機的結合を生み出します(参照,6:5のノート1)。それは、良くない命をさらに良い命と交換することではありません。それは、二つの命が一つに結合されて、一つの混ざり合った命と生活にあずかることです。そのような命の混ざり合いは、二つの同類で、しかも別の命が、死(切断)と復活(成長)を経過した時に起こります。これは、わたしたちとキリストとの結合を描写しています。 |
ローマ 11:17 注2 |
マタイによる福音書第2章15節(ホセア11:1の引用)、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」によれば、キリストと真のイスラエルは一体です。異邦人信者がキリストへと接ぎ木される時、彼らはイスラエル、栽培された木へと接ぎ木されて、根(父祖たち―16節)の豊かな養分(キリスト)、すなわち、キリストにある神の計り知れない豊富(エペソ3:8)に共にあずかる者となります。彼らとイスラエルはキリスト、すなわち真のぶどうの木の枝となりました(ヨハネ15:1,5)。そして彼と共に、両者は三一の神を表現する有機体となります。 |