出典 |
フットノート |
ローマ 11:23 注1 |
これは主の再来の時に起こります。その時、イスラエルのすべての残された者(レムナント)は悔い改めて立ち返り、主が彼らのメシヤであることを信じ、救われます(ゼカリヤ12:10.ローマ11:26)。 |
ローマ 11:25 注1 |
悔い改めて信じる異邦人のことです。信じる異邦人が満ち満ちることは、異邦人の時が満ちること(ルカ21:24)とは違います。後者は異邦人の権能の時が終わることを示します。 |
ローマ 11:27 注1 |
原文は、複数。 |
ローマ 11:28 注1 |
これは、神の選びにおけるエコノミーをはっきりと見せています。イスラエルの不信仰は、彼らと神との関係に影響します。それにもかかわらず、神の選びから生じた召しは、取り消されないものです(29節)。彼らは地位上、やはり神に愛される民です。 |
ローマ 11:28 注1 |
これは、神の選びにおけるエコノミーをはっきりと見せています。イスラエルの不信仰は、彼らと神との関係に影響します。それにもかかわらず、神の選びから生じた召しは、取り消されないものです(29節)。彼らは地位上、やはり神に愛される民です。 |
ローマ 11:32 注1 |
人の不従順が、神のあわれみを全うしました。 |
ローマ 11:33 注1 |
これは、神の豊富、知恵、知識に対する神への賛美です。それは人が探り、たどり得るところを越えています。神はそれを、万物の創造の時に、また万事を按配して彼の選民の選びを成就する時に、活用されました。この賛美と、本書の終わりでの賛美(16:25―27)とは、違う源から出ており、違う目標を持っています。前者は、神の選びから出てきて、神の選びの達成をその目標としています。後者は、世々にわたるの神の奥義から出てきて、その奥義の成就を目標としています。両者とも、その結果は神に栄光を帰すことです。 |
ローマ 11:33 注2 |
知恵は知識よりもさらに深く、さらに高いです。知恵は、ある事の開始に見られますが、知識は、知恵によって開始された事を実行する上での適用に見られます。神は唯一の開始者です。それは特に、ここでの選びの問題で見られるとおりです。これらの章に記述されているように、神が彼の選びを開始される時の知恵と、彼の選びを実施される時の知識は、わたしたちの最高の賛美に値します! |
ローマ 12:1 注1 |
本書は神の選びを詳細に説明する挿入の言葉の後、第8章に続いて、キリストにある神の全き救いの後半を語ります。この後半で、神の全き救いの前半を享受する者たちは互いに肢体であって、キリストのからだとなります(5節)。さらに、彼らは地上の各地で(第16章に列挙されているように)キリストのからだの生活を生きて、キリストを表現します。それは、三一の神が、この区分の五つの章の聖なる言葉の中で教えられているように、三一の神が生活の中で表現されるためです。この区分は、この生活の各方面について語っています。第1章から第8章に啓示されている神の全き救いの前半は、神が彼の目的に到達される手段です。第12章から第16章に啓示されている神の全き救いの後半は、神の全き救いの目的です。 |
ローマ 12:1 注3 |
第9章15節(9:15)のノート2を参照。ギリシャ語は、ここの慈しみは複数です。神はわたしたちに対して、多くの慈しみを持っておられます。それは、彼がわたしたちを選び、召し、救い、彼の命へともたらして、わたしたちが彼の豊富を享受し、彼の表現となることで現されています。使徒は、手段と動機づける力としての、これら多くの慈しみを通して、神の目的を成就するために自分の体を神にささげるよう、わたしたちに勧めました。 |