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出典

フットノート

ローマ 13:11 注1 救いの最終段階、わたしたちの体の贖い、第8章19(8:19)、21(8:21)、23節(8:23)で啓示された全き子たる身分のことを言っています。
ローマ 13:12 注1 現在の時代は夜です。主イエスが戻ってこられる時、夜は明けます。次の時代、すなわち王国の時代は昼となります。
ローマ 13:14 注1 わたしたちはキリストの中へとバプテスマされて、すでにキリストの中にあるのですが(6:3ガラテヤ3:27)、なおも日常生活の中で、彼を着なければなりません。キリストを着るとは、キリストによって生き(ガラテヤ2:20)、キリストを生かし出して(ピリピ1:21)、キリストを大きく表現することです(ピリピ1:20)。キリストを着ることは、光の武具を着けることと同じです(12節)。それは、キリストが、その霊と情欲との間の戦いのための、光の武具であることを示しています。この戦いは、その霊と肉の欲との間の争いです(ガラテヤ5:17)。しかし、それは悪魔と彼の悪の勢力との格闘(エペソ6:12)、わたしたちの中の罪の法則と善の法則との間の戦い(7:23)とは異なります。
ローマ 13:14 注2 あるいは、按配。この言葉はギリシャ語では、第12章17節(12:17)の「心がけている」と同じ語根です。「心がけている」は、「備える」という意味を含んでいます。肉のために備えをしないとは、肉のために何も心がけていないこと、肉に支えや便利さを備えて、その情欲を満たすことのないようにすることです。
ローマ 14:1 注1 この章は、召会生活の構成についての補足と考えることができます。著者は、あらゆる項目を並べて述べる時、心は寛容で、態度は寛大であり、見解は高貴でした。彼が第12章で立てた召会生活を実行するためには、この章で示されている補足を厳格に守らなければなりません。主を愛し、召会生活を生きることを求める多くの聖徒は、この事柄をなおざりにし、間違ったために、失敗しました。
ローマ 14:1 注2 第12章で啓示されたからだの生活を実行するためには、第14章1節から第15章13節(14:115:13)で特に啓示されているように、信者たちを受け入れる実際的な学課を学ばなければなりません。召会生活はすべてを含むものであり、あらゆる種類の真のクリスチャンを含むことができるのです。このためには、第12章で述べられた造り変えを必要とします。もしわたしたちが天然のままでいるのでしたら、教理や実行で、わたしたちと意見が異なっている人たちを、受け入れることはできません。
ローマ 14:1 注3 すなわち、教理上の考え方。偶像礼拝(Iヨハネ5:21Iコリント8:4―7)、淫行、強奪、ののしりやその他の大罪(Iコリント5:9―116:9―10)、分裂(16:17テトス3:10)、キリストが受肉されたことの否定(IIヨハネ1:7―11)を除いて、わたしたちは、他の人の教理上の見解を裁かないことを、学ばなければなりません。人が真のクリスチャンであり、新約の根本的な信仰を持っている限り、たとえ彼が教理に関してわたしたちと見解が異なっているとしても、わたしたちは彼を排除すべきではなく、同じ主にあって受け入れるべきです。
ローマ 14:3 注1 信者たちを受け入れることに関して、パウロは食べること(2―3節)と日を守ること(5―6節)を例に用いました。神が受け入れられることは、わたしたちが何を食べるか、どの日を守るかとは、何の関係もありません。これらは小さな、二次的な事柄であって、わたしたちの救いや基本的信仰とは何の関係もありません。ですから、これらの事柄で、人を軽んじたり裁いたりすべきではありません。
ローマ 14:3 注1 信者たちを受け入れることに関して、パウロは食べること(2―3節)と日を守ること(5―6節)を例に用いました。神が受け入れられることは、わたしたちが何を食べるか、どの日を守るかとは、何の関係もありません。これらは小さな、二次的な事柄であって、わたしたちの救いや基本的信仰とは何の関係もありません。ですから、これらの事柄で、人を軽んじたり裁いたりすべきではありません。
ローマ 14:3 注2 わたしたちが信者を受け入れる根拠は、神が彼らを受け入れておられることです。神は御子にしたがって人を受け入れられます。人が神の御子、わたしたちの主イエス・キリストを救い主として受け入れる時、神は直ちにその人を受け入れ、彼を三一の神の享受と、神がキリストにあってわたしたちのために用意し、達成されたすべての享受へと、入れてくださいます。わたしたちも、同じように人を受け入れるべきであって、神より狭くあってはなりません。たとえ人が教理的観念、あるいは宗教的実行で、わたしたちとどんなに異なっているとしても、彼らを受け入れなければなりません。わたしたちが教理や実行にしたがってではなく、神にしたがって人を受け入れる時、キリストのからだの一を実証し、それを保っているのです。
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