出典 |
フットノート |
ローマ 16:10 注2 |
これらの表現の構造と言い方によると、アリストブロとナルキソの家の人たちは、二人の家族のメンバーではありませんでした。彼らはそれぞれ、二人の奴隷であったのでしょう。古代の習慣によれば、奴隷は買い主の財産と見なされていました。アリストブロとナルキソの二人の主人は、信者ではなかったはずです。なぜなら、彼らはここであいさつを受けていないからです。その当時、奴隷として売られて自由を失った多くの者が、キリストを信じて聖徒となりましたが、彼らを買った主人は、まだ信者ではありませんでした。 |
ローマ 16:11 注1 |
10節(10節)のノート2を参照。 |
ローマ 16:13 注1 |
ルポスはローマにいる兄弟であり、彼の母もローマにいました。パウロが彼女を自分の母と言ったのは、尊敬と親密さのしるしです。 |
ローマ 16:16 注1 |
諸召会は個人的な所有物でも、だれの私的な働きでもなく、キリストの諸召会です。 |
ローマ 16:17 注1 |
つまずいて、召会生活から離れることを言っています。これは、異なる意見や教えの結果であるに違いありません。 |
ローマ 16:17 注2 |
第14章で、パウロは教理や実行で異なっている人たちを受け入れることについては、寛容で寛大でした。しかしここでは、分派的であったり、分裂を引き起こしたり、つまずきの原因を作る者たちからは離れ去らなければならないと、断固として、決然と語っています。いずれの場合も、その目的はキリストのからだの一を守ることにあり、それは、わたしたちが正常な召会生活を持つためです。 |
ローマ 16:18 注1 |
文字どおりには、奴隷として仕える。 |
ローマ 16:18 注2 |
ギリシャ語は、「中空」を意味する言葉の派生語です。それは、人体の腹、あるいは、腹腔のことを言います。 |
ローマ 16:18 注3 |
あるいは、懐疑的でない、天真な。 |
ローマ 16:20 注1 |
ここで神は、召会生活をする人たちの足の下にサタンを踏み砕くことを約束し、サタンを踏み砕くことは、召会生活と関係があることを見せておられます。サタンを対処するのはからだの事であって、個人的な事ではありません。わたしたちがからだの実際的な表現としての正常な地方召会を持ってはじめて、サタンはわたしたちの足の下に踏み砕かれるのです。 |