出典 |
フットノート |
ローマ 16:20 注2 |
召会生活はわたしたちに、サタンを足の下に踏み砕かせ、平安の神を経験させるだけでなく、主の豊かな恵みを享受させます。 |
ローマ 16:24 注1 |
幾つかの古代の写本は、24節が加えられています。「わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にありますように。アーメン」。 |
ローマ 16:25 注2 |
すなわち、全き福音。これはキリストと召会に関する教えを含み、地方召会において究極的に完成されます。これは本書で完全に提示されています(参照,1:1のノート9)。 |
ローマ 16:25 注4 |
この世が始まってからの時のことを言います。 |
ローマ 16:25 注3 |
世々にわたって沈黙のうちに保たれてきた神の奥義には、おもに二つの点があります。一つは神の奥義、すなわちキリストです(コロサイ2:2)。彼は信者たちの内にいて(コロサイ1:26―27)、彼らの命、またあらゆるものとなっておられます。それは、彼らが彼のからだの肢体となるためです。もう一つはキリストの奥義、彼のからだとしての(エペソ3:4―6)、彼の豊満を現す召会です(エペソ1:22―23)。ですから、キリストと召会が偉大な奥義です(エペソ5:32)。 |
ローマ 16:25 注1 |
Iペテロ第5章10節(Iペテロ5:10)のノート7を参照。第16章で、わたしたちの必要は、もはや救われることでも聖別されることでもなく、確立されることです。あらゆる事柄が達成されたからには、わたしたちはただ確立される必要があるだけです。この確立することは、神の純粋で全き福音、すなわち、すべてを含むキリストを宣べ伝え、供給することにしたがっており、また世々にわたって沈黙のうちに保たれてきた奥義の啓示にしたがっています。ただ純粋な福音、生けるキリスト、神の啓示された奥義だけが、召会生活のためにわたしたちを確立し、一の中に保つことができます。 |
ローマ 16:26 注1 |
第15章と第16章で、神は以下のように呼ばれています:「忍耐と励ましの神」(15:5)、「望みの神」(15:13)、「平安の神」(20節)、「永遠の神」(26節)、「唯一の知恵ある神」(27節)。わたしたちの神は、これらすべての面で豊かです。本書の福音は、そのような豊かな神の福音です。この福音は、実行上の召会生活において究極的に完成されます。 |
ローマ 16:27 注1 |
第11章33節(11:33)のノート2を参照。本書はクリスチャン生活と召会生活の概論ですが、その結びで、知恵ある神に栄光を帰しています。これは、本書で論じられたすべての事柄、例えば、神がどのようにわたしたちを選ばれたか、どのように罪と死から救われたか、どのように贖い、義とされたか、どのようにわたしたち死んでいた罪人を、彼の神聖な子たちとされたか、どのようにわたしたちをアダムからキリストに移されたか、どのようにキリストにあって聖別し、造り変えられたか、どのようにキリストのからだを構成するキリストの肢体とされたか、どのようにして各地に出現する地方召会とならせ、キリストのからだをこの時代に地上で表現されるかなどを、明らかにしています。これらすべては神の知恵によって計画され、経営され、達成されました。それは、無限に豊かな三一の神が栄光を受けられる、すなわち、彼の無比の栄光が、わたしたちを通して完全に、十分に表現されるためです。わたしたちは彼によって永遠に成就され、彼のからだとなり、彼と一つに結合されました。神の知恵の焦点は、彼の神聖な三一を、わたしたち贖われた人の三部分―霊、魂、体に造り込むことです。それは、彼の贖い、聖別、造り変えにおいて、わたしたちが神聖な命の中で彼と完全な結合を持つためであり、神性と人性との混ざり合い、人性と神性との結び付きという彼の願いが、永遠に成就されるためです。これはまことに、わたしたちが評価し、礼拝する価値のあるものです! わたしたちがこれにあずかることができるとは、何という祝福、何という栄光でしょう! これは、永遠に至るわたしたちの絶えない歌と賛美に値します! わたしたちのクリスチャン生活も召会生活も、これを中心とし、目標とすべきです。神がこのように、彼によって選ばれ、完成されたすべての人を、祝福してくださいますように。 わたしたちの中での神の神聖な分与と、彼とわたしたちとの神聖な結合を通して、わたしたちは神の全き救いの中で、キリストの命における救いを経験し、享受することができます(参照,5:10のノート2)。それは本書で以下の面において、わたしたちに伝えられているとおりです。 (1) わたしたちが受けたあふれるばかりの恵み(神ご自身)と義の賜物(キリストご自身)は、キリストの神聖な命の中で、罪、死、古い人、肉、サタン、この世、神に服従しないすべての人、事、物を支配することができます(5:17)。 (2) 神の聖なる性質は、わたしたちのこの世的な性質を聖別します(6:19,22.15:16)。神はわたしたちの性質を、彼の神聖な命から神聖な命へと聖別されます。それは、わたしたちが彼の神聖な命をさらに享受することができるためです。 (3) 内住する命の霊の法則(三一の神が命としてわたしたちの内に、自動的に、自然に造り込まれること)は、わたしたちを罪と死の法則、奴隷の身分、罪の束縛から解放します(8:2,11)。この法則の働きは、神の神聖な命から出てきます。それはまた、わたしたちの内に神聖な命を増し加えます。 (4) わたしたちの霊、魂、体の中での神聖な三一の神聖な分与は、この三部分を、手順を経た神聖な命で浸透し(8:5―11)、その結果、わたしたちの全存在が、手順を経た三一の神と完全に結合され、一つに混ざり合わされます。 (5) その霊によってわたしたちの思いが新しくされて、わたしたちの魂が造り変えられ、それはわたしたちをこの世の流行にかたどられることから救い(12:2)、第12章から第16章に述べられているあらゆる徳と勝利を生み出します。これは、わたしたちの最高水準の日常生活であり、すべてに勝利を得る召会生活です。 (6) わたしたちの思いが新しくされ、魂が造り変えられることによって、わたしたちはキリストのからだの中で、すべての信者と共に互いに肢体となり、キリストのからだとして共に建造されて、からだの奉仕を持ちます(12:1,3―8)。これは、わたしたちがキリストの命における救いを経験することの結晶です。 (7) 本書の第14章から第16章の啓示と教えに基づいて、わたしたちはキリストのからだ(宇宙召会)の各地における出現として、各地での地方召会の生活を生きます。 (8) わたしたちは各地で建造された召会、ハデスの門が打ち勝つことのできない召会となって、サタンをわたしたちの足の下に踏み砕く機会を神に与えます。それは、わたしたちがキリストをわたしたちの豊かな恵みとして享受し、平安の神を、超越した平安として享受するためです(16:20)。 (9) 以上述べられたような、神聖な命の各面の救いを経験し、神の主権の下で按配された「すべて」を通して、わたしたちは神の長子のかたちに同形化されていきます(8:28―29)。それは、わたしたちが彼の神聖な特質と人の美徳を持って、神・人の栄光と美を表現するためです。 (10) わたしたちが神聖な命の救いを経験する過程の中で、神聖な命の輝きは、徐々にわたしたちに浸透して体にまで至り、わたしたちの体の贖いとなります(8:23)。それは、わたしたちの霊、魂、体がすべて、神の栄光の中に入るためです(8:30,17)。この栄光化は、神聖な命の救いによってわたしたちの中で達成された頂点であり、神の全き救いの最高峰です。 |
1コリ 1:1 注2 |
神のみこころは、ご自身の目的を遂行するための彼の決定です。このみこころによって、パウロは召されてキリストの使徒となりました。ここでのパウロの断言は、彼の使徒の地位と権威を強めました。 |
1コリ 1:1 注1 |
使徒は遣わされた者です。パウロはそのような人でした。彼は自分で指名したのではなく、主によって召されたのです。彼の使徒職は本物であり(9:1―5.IIコリント12:11―12.参照、IIコリント11:13.啓2:2)、神の新約の行政の権威を持っていました(IIコリント10:8.13:10)。この地位に基づき、この権威を用いて、使徒はこの書簡を書きました。それはコリントの聖徒たちを養い、建造するだけでなく、そこの召会を規正し、調整するためでもありました。 |