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出典

フットノート

1コリ 1:13 注2 わたしたちのために十字架につけられた方は、すべての信者が帰すべき方です。これは確かにキリストであって、他のだれでもありません。すべての信者は、十字架につけられ、復活されたキリストの御名の中へと、すなわち彼のパースンの中へとバプテスマされました。これは、彼との有機的結合を生み出しました。彼の唯一の御名と唯一のパースンは、彼のどんなしもべたちの名やパースンによっても、置き換えられることはできません。
1コリ 1:16 注1 文字どおりには、知りません。
1コリ 1:17 注1 使徒パウロが遣わされたのは、儀式的に人々をバプテスマするためではなく、福音を宣べ伝えて、人々にキリストを供給し、キリストの表現としての召会を生み出して、神の豊満とするためです(エペソ1:233:19)。
1コリ 1:17 注2 哲学的空論のことを言っています。
1コリ 1:17 注3 神の新約エコノミーは、キリストの贖いを通して召会を生み出すことです。このエコノミーを成就することで、キリストの十字架はその中心です。パウロは十字架につけられたキリストを宣べ伝え(23節2:2ガラテヤ3:1)、そしてキリストの十字架を誇りました(ガラテヤ6:14)。彼は、ユダヤ人やユダヤ人信者たちのある者がそのために戦った律法と割礼(ガラテヤ3:115:116:12―13)、ギリシャ人や異邦人信者のある者によって推進された哲学(コロサイ2:820)を、宣べ伝えませんでした。キリストの十字架は、律法の規定を廃棄しました(エペソ2:15コロサイ2:14)。またわたしたち信者は、哲学というこの世の初歩的な教えに対して死にました(コロサイ2:20)。しかしサタンは、ユダヤ教の者たちやギリシャの哲学者たちを扇動して、この世の知恵である彼らの「主義」を伝えさせ、キリストの十字架をむなしくしようとしました。使徒パウロは、この事にとても警戒していました。コリントの信者たちの分裂は、おもにユダヤ宗教とギリシャ哲学の背景から来ていました。使徒はこの事を取り扱う時、キリストと彼の十字架を強調しました。キリストが宗教的な意見や哲学的な知恵に取って代わり、彼の十字架が働いて、どの背景にもつきまとっている肉を対処する時、分裂は取り除かれるでしょう。天然の好みや人の知恵を高く上げても、キリストと彼の十字架の前では、立っていくことができません。
1コリ 1:18 注1 ギリシャ語は、5節(5節)と同じ言葉です(そこのノートを参照)。十字架の言葉とは、十字架の発表、語りかけ、宣べ伝えです。そのような宣べ伝えは、滅びつつある者に軽べつされ、愚かなものと見なされます。しかし、わたしたち救われつつある者には、神の力としてあがめられ、受け入れられます。パウロは彼の務めの中で、十字架を神の救いの中心として強調しました(ガラテヤ2:203:15:11246:14エペソ2:16ピリピ2:83:18コロサイ2:14)。
1コリ 1:19 注1 特に、コリントにいる哲学的なギリシャ人のことを言っています。彼らは自分たちの哲学的な知恵を保持して、自らを知恵があり、賢いものと考えていました。使徒は、彼らが彼らの哲学を離れて、十字架につけられたキリストを取るようにと願いました。
1コリ 1:20 注1 イザヤ書第33章18節(イザヤ33:18)にある学者の知恵のように、十字架の言葉を拒絶したユダヤ人の学者の知恵を、パウロは無用なものと考えました。
1コリ 1:21 注2 すなわち、宣べ伝えられたもの。
1コリ 1:21 注1 あるいは、良いと考えた。
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