出典 |
フットノート |
マタイ 10:33 注1 |
この言葉は、王国の福音を宣べ伝えるために遣わされた使徒たちに対して、天の王によって語られました。彼は、使徒たちが迫害されることを予告されました(17、21―23節)。だれかが迫害の下で主イエスを否むなら、主イエスも彼を否まれるでしょう。これは彼の再来の時に起こります(16:27)。その時に彼によって否まれるか言い表されるかは、彼の使徒たちが来たるべき時代に、褒賞として天の王国に入るに値するかどうかを決定します。 |
マタイ 10:34 注1 |
全地はサタンの横領の下にあります(Iヨハネ5:19)。天の王は何人かを、サタンの横領の下から召し出すために来られました。これは必ず、サタンの反撃を呼び起こします。サタンは、彼の横領の下にある者たちをそそのかして、天の王が召した者たちに敵対させました。ですから、王の到来は平和ではなく、剣をもたらしたのです。 |
マタイ 10:36 注1 |
横領するサタンは、天の王に召された者たちに敵対する戦いを扇動します。これは、家族の中でさえ行なわれます。天の召しを受けた者たちは、邪悪な横領者の配下にとどまっている近親者によって、その家庭内で攻撃されます。 |
マタイ 10:37 注1 |
わたしたちの愛は、主に対して絶対的でなければなりません。わたしたちは何ものも、彼以上に愛すべきではありません。彼はわたしたちの愛に最もふさわしい方です。わたしたちは彼にふさわしくなければなりません。 |
マタイ 10:38 注1 |
キリストは父のみこころを取って、十字架につけられました(26:39、42)。彼はバプテスマされた時、十字架につけられたものと勘定されました。その時から、彼はご自身の十字架を負って、神のみこころを行なわれました。彼に召された者たちは、彼と同一化されました。主は彼らに自分の十字架を取って、彼について来るように、すなわち、自分を捨てることによって、神のみこころを取ることを求められました。これは、どんな代価を払ってでも、彼らの愛をまず主にささげることを要求しました。それは、彼らが主にふさわしい者となるためでした。 |
マタイ 10:38 注2 |
文字どおりには、取って。 |
マタイ 10:39 注1 |
魂の命を見いだすとは、魂に享受を持たせ、苦しみを逃れることです。魂の命を失うとは、魂に享受を失わせ、それによって苦しむことです。もし天の王に従う者たちがこの時代に、彼らの魂に享受を持たせるなら、来たるべき王国時代に、魂に享受の損失を被らせることになります。彼らが王のために、この時代に魂の享受の損失を被らせるなら、来たるべき王国時代に、魂に享受を得るでしょう。すなわち、地を支配することで、王の喜びにあずかるでしょう(25:21、23)。 |
マタイ 10:39 注1 |
魂の命を見いだすとは、魂に享受を持たせ、苦しみを逃れることです。魂の命を失うとは、魂に享受を失わせ、それによって苦しむことです。もし天の王に従う者たちがこの時代に、彼らの魂に享受を持たせるなら、来たるべき王国時代に、魂に享受の損失を被らせることになります。彼らが王のために、この時代に魂の享受の損失を被らせるなら、来たるべき王国時代に、魂に享受を得るでしょう。すなわち、地を支配することで、王の喜びにあずかるでしょう(25:21、23)。 |
マタイ 10:40 注1 |
天の王に遣わされた使徒たちは、彼の権威と(1節)平安を(13節)託され、御父の霊によって内住され、苦難と(22、24―25節)死において(21、34―39節)王と同一化され、彼と一つでした。ですから、使徒たちを受け入れる者は、主を受け入れるのです。このような天の王との同一化にあずかることは、37節から39節で啓示されたように、わたしたちが彼をすべてにまさって、どんな代価を払っても愛し、十字架の狭い道を取って、彼に従うことを要求します。 |
マタイ 10:40 注1 |
天の王に遣わされた使徒たちは、彼の権威と(1節)平安を(13節)託され、御父の霊によって内住され、苦難と(22、24―25節)死において(21、34―39節)王と同一化され、彼と一つでした。ですから、使徒たちを受け入れる者は、主を受け入れるのです。このような天の王との同一化にあずかることは、37節から39節で啓示されたように、わたしたちが彼をすべてにまさって、どんな代価を払っても愛し、十字架の狭い道を取って、彼に従うことを要求します。 |