出典 |
フットノート |
1コリ 2:10 注1 |
「教えられる」のとは違います。教えることは、わたしたちの思いと関係があり、啓示することは、わたしたちの霊と関係があります。神がわたしたちのために備えられた、深く隠された事柄を認識するためには、わたしたちの思いよりも、わたしたちの霊が必要です。わたしたちの全存在が、神との親密な交わりの中で神を愛することによって、神と一つになる時、神はわたしたちの霊の中に、彼の霊を通して、わたしたちの分け前であるキリストのあらゆる秘密を示してくださいます。これが、人の心に思い浮かんだことのない、神の知恵によって計画された、キリストについての隠された事柄を啓示することです。 |
1コリ 2:10 注3 |
神の深い事柄を言います。それは、わたしたちの永遠の分け前となった、多くの面におけるキリストです。これは神によってあらかじめ定められ、備えられ、無代価で与えられたものです。これらの事柄は、人の心に思い浮かんだこともないものでしたが、神の霊によって、わたしたちの霊の中で、わたしたちに啓示されています。ですから、わたしたちがそれにあずかるためには、霊的でなければなりません。わたしたちは、わたしたちの霊の中で動き、行動し、生きなければなりません。それは、わたしたちのすべてであるキリストを、享受することができるためです。 |
1コリ 2:10 注2 |
ギリシャ語は、積極的な探求を意味し、発見によってではなく、探し求めて得られた正確な知識を暗示します。神の霊は、キリストに関する神の深みを探し求めます。そしてそれらを、わたしたちの霊の中でわたしたちに示し、認識させ、あずからせます。 |
1コリ 2:11 注1 |
人の霊は、人の最も深い部分です。それには、人の事柄の最も深い所に入る機能があります。しかし人の思いは、表面的な事柄を知ることができるだけです。同じように、神の霊だけが、神の深い事柄を知ることができます。コリントの信者たちは、人の霊と神の霊を無視しました。そして向きを変えて、哲学によって彼らの思いの中で生きました。ですから、本書は、この二つの霊を正しく経験することが、召会生活を実行するために必要であることを見せているのです。 |
1コリ 2:12 注1 |
主を賛美します。神の霊によって神から生まれたわたしたちは、神の霊を受けました。ですから、わたしたちは神の深い事柄を、十分に知ることができます。神はそれを、わたしたちの享受のために、恵み深く与えてくださいました。 |
1コリ 2:13 注2 |
ここの思想は、霊の事柄を霊の言葉で語ることです。その強調は、それがだれに語られるかではなく、霊の事柄が語られるその手段にあります。使徒は、霊の事柄を霊の言葉で語ります。霊の事柄は、キリストに関する神の深い事柄であり、霊の言葉は、その霊によって教えられた霊の言葉です。 |
1コリ 2:13 注1 |
ギリシャ語は、解釈し、説明するように、「混ぜ合わせる」、「一緒にする」を意味します。七十人訳聖書では、一般的な言葉です(創40:8.41:12、15)。 |
1コリ 2:14 注1 |
13節(13節)は霊の手段、すなわち、霊の事柄を語る霊の言葉を強調します。14節(14節)と15節(15節)は霊の対象、すなわち、魂の人ではなく霊の人を強調します。霊の人だけが、霊の事柄を識別することができます。手段と対象はいずれも、霊的である必要があります。霊の事柄は、霊の言葉で霊の人に語られなければなりません。 |
1コリ 2:14 注2 |
魂の人は天然の人であり、魂(思い、感情、意志を含む)に全存在を支配させ、魂によって生きている人です。そして自分の霊を無視し、霊を用いず、霊を持たない者のようでさえあります(ユダ1:19節)。そのような人は、神の霊の事柄を受け入れませんし、それを知ることもできません。むしろ彼は、それを拒絶します。しるしを求めた宗教的なユダヤ人と知恵を追い求めた哲学的なギリシャ人は(1:22)、そのような天然の人でした。彼らにとって、神の霊の事柄は愚かでした(1:23)。 |
1コリ 2:14 注3 |
わたしたちの分け前であるキリストに関する、神の深い事柄を言っています。 |