出典 |
フットノート |
1コリ 3:15 注2 |
褒賞を得損なうことであって、救いを失うことではありません。この損失を被るとは、滅びることを意味するのではありません。 |
1コリ 3:15 注4 |
クリスチャンとしての働きが、主の再臨の時、主によって良しとされない信者も救われますが、火をくぐってきたように救われるのです。「火をくぐってきた」とは、確かに懲らしめを示しています。しかしながら、これは煉獄ではありません。煉獄とは、カトリックがこの節の言葉を迷信的に曲解して、異端的に教えているものです。そうではあっても、この言葉は今日、わたしたちのクリスチャンの働きについての、わたしたちに対する厳粛な警告であるはずです。 |
1コリ 3:15 注3 |
わたしたちがキリストにあって受けた救いは、わたしたちの働きによるのではありません(テトス3:5)。それは性質において永遠であり、不変です(ヘブル5:9.ヨハネ10:28―29)。ですから、クリスチャンとしての働きが裁きの主によって良しとされない信者、褒賞を得損なう信者も、やはり救われています。神がすべての信者に与えられた救いは、無代価の賜物であり、永遠に及びます。ところが、クリスチャンとしての働きが主によって良しとされた信者(すべての信者ではない)に対する褒賞は、王国時代のためです。その褒賞は、彼らクリスチャンの働きに対する励ましです(参照、ヘブル12:28のノート1)。 |
1コリ 3:16 注1 |
ギリシャ語は内なる宮を意味します。ここの神の宮は、コリントのような一つの地方に集まっている団体の信者のことを言っています。17節(17節)の神の宮は、普遍的にすべての信者のことを言っています。宇宙における唯一の霊的な神の宮は、地上の多くの地方にその表現を持っています。それぞれの表現は、その地方における神の宮です。 神の宮は、9節(9節)の神の建物の説明です。神の建物は普通の建物ではなく、聖なる神の聖所、神の霊が住まわれる宮です。そのような聖なる宮の建築者であるわたしたちは、次のことを認識すべきです。すなわち、木、草、刈り株のような価値のない材料で建造するのではなく、神の性質とエコノミーにふさわしい金、銀、宝石のような、尊い材料で建造するように注意することです。 |
1コリ 3:17 注1 |
あるいは、壊す、腐敗させる、汚す、損なう。神の宮を破壊するとは、12節(12節)で言われたように、木、草、刈り株のような価値のない材料で建造することです。これは、ユダヤ教の要素で召会を建造しようとした何人かのユダヤ人信者と、哲学の要素を建造の中に持ち込もうと努めた何人かのギリシャ人信者のことを言っています。これらはみな神の宮を腐敗させ、壊し、汚し、損ないました。すなわち、それを破壊しました。使徒たちの基本的教え(使徒2:42)と異なるどのような教理を用いることも、神の性質、キリストの贖いの働き、その霊の造り変えの働きに矛盾するどのような方法や努力を用いることも、神の召会を腐敗させ、壊し、汚し、損ない、破壊します。 |
1コリ 3:17 注2 |
これは少なくとも、15節(15節)に啓示された懲らしめを示しています。建造の中で、異端の教理、分裂させる教え、この世的な方法、天然の努力によって、神の召会を腐敗させ、破壊し、汚し、損なった者はみな、神の懲らしめを受けます。 |
1コリ 3:17 注3 |
神の宮である召会は聖ですから、わたしたちが建造に用いる材料、方法、努力も聖であり、神の性質、キリストの贖い、その霊の造り変えにふさわしくなければなりません。 |
1コリ 3:17 注4 |
「それは」は聖なる宮のことを言っています。ここの強調は「聖」であって、「宮」ではありません。16節(16節)は宮を強調しますが、17節(17節)は宮の聖なる特徴を強調します。それは、世俗的なコリントの信者たちに、彼らが聖であって、神の宮の聖なる特徴を持つべきであることを思い起こさせます。 |
1コリ 3:18 注1 |
ユダヤ教化させる信者たちと、哲学化させるギリシャ人信者たちはいずれも、ユダヤ教やギリシャ哲学の要素を召会の建造に持ち込んで、彼ら自身を欺きました。 |
1コリ 3:18 注2 |
使徒のここの思想は、おもに、自分たちの哲学の知恵を高く評価していたギリシャ人信者たちに集中していました(1:22)。 |