出典 |
フットノート |
1コリ 4:16 注1 |
13節(13節)のノート2を参照。 |
1コリ 4:17 注2 |
この表現は、二つのことを示しています。(1)使徒の教えはどこにおいても全く同じであって、場所によって異なることはありません。(2)「至る所」は「あらゆる召会」と等しく、「あらゆる召会」は「至る所」と等しいです。 |
1コリ 4:17 注1 |
これは、使徒があらゆる召会で聖徒たちに教えた時に行なった生き方でした。 |
1コリ 4:20 注1 |
これは召会生活のことを言っており、権威の意味では、この時代の召会が神の王国であることを暗示しています。 |
1コリ 4:21 注1 |
この言葉がコリントの信者たちに語られたのは、使徒が彼らの霊の父であることに基づいています。パウロはこのような霊の父として、自分の子供たちを懲らしめる地位と責任を持っていました。 |
1コリ 4:21 注2 |
これは、聖霊が内住し、聖霊と混ざり合った使徒の再生された霊です。柔和の霊とは、キリストの柔和(IIコリント10:1)で浸透されている霊です。ですから、キリストの美徳を表現します。 |
1コリ 5:1 注1 |
第1章から第4章で取り扱われた一番目の問題は分裂であり、それはおもに、魂の天然の命と関係があります。本書の第二区分である第5章で取り扱われた二番目の問題は、淫行の罪であり、それは肉の欲と関係があります。義母との近親相姦にからむこの問題は、道徳的に言うと、前者よりもさらにひどいです。前者は誇りから来る争いと関係があり、後者は肉の欲から来るひどい罪です。 |
1コリ 5:1 注2 |
すなわち、継母。 |
1コリ 5:2 注1 |
13節(13節)のノート1を参照。 |
1コリ 5:3 注1 |
使徒は霊の人として、彼の霊の中で振る舞いました。それは、コリント人が魂の中で、あるいは肉の中で振る舞っていたのと対照的です。彼は体では彼らの所にいませんでしたが、霊の中では彼らと共にいて、彼の霊を活用し、彼らの間の邪悪な者を裁きました。 |