出典 |
フットノート |
1コリ 9:4 注1 |
4節から15節(4―15節)における使徒の大胆で、率直で、強烈な、単刀直入の表明は、彼が純粋な心と霊を持った人であり、主の働きの中で、キリストと彼のからだ以外、別の意図を何も持っていなかったことを啓示します。 |
1コリ 9:4 注3 |
聖徒たちや召会の費用で、福音のために食べ飲みすることです(14節)。 |
1コリ 9:4 注2 |
あるいは、自由。 |
1コリ 9:9 注1 |
あるいは、脱穀をしている間に。 |
1コリ 9:12 注1 |
あるいは、辛抱する。文字どおりには、入れる(器のように)。隠す。それゆえ、覆う(屋根のように)。 |
1コリ 9:13 注1 |
ここの「聖なる事」という言葉は、ローマ人への手紙第1章2節(ローマ1:2)の「聖」、ルカによる福音書第1章75節(ルカ1:75)の「聖」という言葉とは異なり、テモテへの第二の手紙第3章15節(IIテモテ3:15)の「聖」とは同じ言葉です。それは、神を礼拝する事での聖と関係があることを意味しています。 |
1コリ 9:15 注1 |
使徒はいっさいを顧みず、絶対的に主の益のためでした。彼は進んで自分のいっさいの権利を犠牲にしただけでなく(12節、15節前半、18節)、自分の命までも代価として払おうとしました。 |
1コリ 9:15 注2 |
むしろ何なのでしょう? パウロはこの文章を完結していません。おそらく彼は、この節の前半で述べたことを言おうとしていたのでしょう。 |
1コリ 9:16 注1 |
文字どおりには、必要がわたしの上にのしかかっている。 |
1コリ 9:17 注1 |
本書が書かれたのは、失われた罪人が救われるためではなく、救われた信者が成長し(3:6―7)、尊い材料をもって建造し(3:10、12―14)、主の肢体を顧み(8:9―13)、レースを走る(24節)のを助けるためです。ですから、信者たちの前進を励ますものとして、褒賞が繰り返し述べられているのです(3:14.9:18、24―25.参照、ヘブル10:35のノート1)。 |