出典 |
フットノート |
1コリ 10:18 注1 |
あるいは、共にあずかる。祭壇の供え物を食べる人は、互いに交わりを持ち、また祭壇と交わりを持つだけでなく、自分の食べる物に共にあずかります。彼らが自分の食べる物にあずかることは、彼らを祭壇の供え物と一つにします。これはまた、食べることが食べる人を、いかにその人の食べる物と一つにするかを例証します。偶像への供え物を食べることも同じです。それは、食べる人を供え物の背後の悪鬼と一つにします。 |
1コリ 10:20 注1 |
偶像と偶像に供えられた物は、何の意味もないものです(19節.8:4)。ところが、それらの背後には悪鬼どもがおり、それは神にとっては忌まわしい、憎むべきものです。神を礼拝する信者たちは、偶像に供えられた物を食べることによって、自分自身を悪鬼どもと一つにし、悪鬼どもと交わりを持つ者となることを、絶対に避けるべきです。悪鬼どもは偶像の実際ですから、偶像に供えられた物を食べることは、食べる人を悪鬼と交わりを持つ者、悪鬼にあずかる者とします。 |
1コリ 10:20 注2 |
18節(18節)のノート1を参照。偶像に供えられた物を食べる人は、悪鬼どもと交わりを持つ者となるだけでなく、悪鬼にあずかって、自分自身を悪鬼と一つにします。 |
1コリ 10:21 注1 |
主の杯を飲み、主の食卓にあずかるとは、わたしたち自身を主と一つに結合することです。悪鬼どもの杯を飲み、悪鬼どもの食卓にあずかるとは、わたしたち自身を悪鬼どもと一つにすることです。 |
1コリ 10:22 注1 |
主はねたむ神です(出20:5)。偶像礼拝は、彼にとって最も忌まわしい、最も憎むべきことです。もしわたしたちが悪鬼どもとの交わりにあずかり、自分自身を彼らと一つにするなら、わたしたちは主のねたみを引き起こすでしょう。ですからわたしたちは、偶像礼拝から逃れなければなりません(14節)。 |
1コリ 10:23 注1 |
14節から22節(14―22)は、人を悪鬼どもと一つにするという面から、偶像への供え物を食べることを取り扱います。23節から第11章1節(23節、11:1)は、神の栄光のために人を建造する(31節)という観点から、この事柄を取り扱います。 |
1コリ 10:23 注2 |
第6章12節(6:12)のノート2を参照。 |
1コリ 10:23 注3 |
第6章12節(6:12)のノート3を参照。 |
1コリ 10:23 注2 |
第6章12節(6:12)のノート2を参照。 |
1コリ 10:23 注4 |
この節に類似している第6章12節(6:12)は、「わたしは何の支配も受けません」で終わります。この節は、「すべての事が建造するのではありません」で終わります。前者はわたしたち自身と関係があり、後者は他の人と関係があります。 |