出典 |
フットノート |
1コリ 10:25 注1 |
使徒の時代、普通、偶像に供えられた物は、ごく一部分だけが焼き尽くされました。残りは祭司たちや貧しい者に与えられるか、あるいは再び市場で売られました。買う人は知らずに、偶像に供えられた肉を買ったかもしれません。 |
1コリ 10:30 注1 |
すなわち、食べる。これは、食べるのはあずかることであることを示します(17節)。 |
1コリ 10:31 注1 |
これは、第10章31節から第11章1節(10:31、11:1)が、(23節からの)この区分の結論であることを示します。 |
1コリ 10:31 注2 |
23節(23節)、31節(31節)、第6章12節(6:12)は、新約の信者たちの行動を規制する四つの基本的原則を与えます。すべての事が許されています。しかし、わたしたちが行なうことは何であれ、(1)その事自身については、益にならなければなりません。(2)自分自身については、何の支配も受けてはなりません。(3)他の人たちについては、彼らを建造しなければなりません。(4)神については、彼に栄光を帰さなければなりません。そうでないなら、何事もすべきではありません。 |
1コリ 10:32 注2 |
新約の時代では、人は三部類に分けられます。(1)ユダヤ人―神の選びの民、(2)ギリシャ人―不信仰の異邦人、(3)召会―キリストにある信者たちの構成です。わたしたちはこれら三部類のどの人たちに対しても、彼らが救われるために(33節)、妨げ、つまずきの石となってはいけません。 |
1コリ 10:32 注1 |
「つまずきの石となってはいけません」と訳されたギリシャ語の表現は、第8章9節(8:9)の「つまずきの石」と同じ語根です。それは、第8章13節(8:13)の「つまずかせる」とは異なります。 |
1コリ 10:33 注1 |
何という模範を、使徒はわたしたちのために立てたことでしょう! |
1コリ 11:1 注1 |
この節は、第10章の結びの最後の文です。 |
1コリ 11:1 注2 |
ある人がキリストに倣う者であるなら、わたしたちはその人に倣う者となるべきです。これは、わたしたちをキリストに倣う者ともします。そのような場合でなければ、わたしたちはどんな人にも倣うべきではありません。 |
1コリ 11:2 注1 |
口で伝えられた、あるいは文書によって伝えられた教え(IIテサロニケ2:15)。 |