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出典

フットノート

1コリ 11:27 注2 すなわち、彼自身に裁きをもたらす(29―30節)。
1コリ 11:28 注1 すなわち、自分を検査する、自分をテストし、所定の要求に符合して自分を承認する。
1コリ 11:29 注3 使徒は、「主の体」ではなく「その体」という表現を用いました。これは、主の物質の体(24節)のほかに、キリストの奥義的からだ(エペソ4:4)がある事実を暗示します。こういうわけで、わたしたちは主の食卓にあずかる時、食卓の上のパンがキリストの一つからだを象徴するのか、それとも人の分裂(宗派)を象徴するのかを、わきまえなければなりません。わたしたちはキリストのからだをわきまえて、どのような分裂にある、あるいは分裂の霊を伴ったパンにも、あずかるべきではありません。わたしたちが主の食卓にあずかることは、主の唯一のからだの唯一の交わりでなければなりません。そこには実行においても、あるいは霊においても、何の分裂もあってはなりません。
 使徒が頭のおおいを取り扱うことは(3節)、かしらと関係があり、主の晩餐(主の食卓)を取り扱うことは、からだと関係があります。キリストの頭首権は、神を代表し、男によって代表されていますが、それについて、わたしたちは神が定められた神聖な行政の秩序を、何の混乱もなく守らなければなりません。キリストのからだに関しては、わたしたちは何の混乱も分裂もなく、使徒の教えによって、正しく規制されなければなりません。かしらはキリストであり、からだは召会です。キリストと召会、この二つは、混乱と無秩序の召会を使徒が取り扱う上で、規制し指導する要因です。彼は第1章から第10章で召会の問題を、まずキリストが神の中心、またわたしたちの分け前であると強調することによって取り扱います。これに続いて、彼は第11章から第16章で、召会が神の目標であり、わたしたちの関心事であることを強調します。第1章から第10章で、彼は病んでいる召会の病をいやす抗生物質として、キリストを使い始めます。次に第11章から、彼は召会に進み、からだなる召会を、召会の無秩序に対する予防接種として用います。キリストと召会のいずれも、神の新約エコノミーの行政を遂行することで、極めて重要です。
1コリ 11:29 注2 文字どおりには、区別する、分別する、識別する、見分ける。主の体をわきまえないとは、主の体を象徴するパンと、普通の食物とを区別しないことです。それは、わたしたちが主の晩餐で食べるパンの深い意義を評価しないことです。これは裁きを、すなわち主の懲らしめを、わたしたちにもたらします。
1コリ 11:29 注1 ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲むことは、わたしたちに裁きをもたらします。この裁きは罪定めではなく、主の一時的な懲らしめです(32節)。
1コリ 11:30 注1 すなわち、体をわきまえないこと。
1コリ 11:30 注2 これは、ふさわしくないままで主の体にあずかる者たちへの懲らしめ、主の一時的な裁きです。主はまず彼らを懲らしめて、彼らの体を弱くされます。次に、彼らが自分の過ちを悔い改めないのであれば、さらに懲らしめて、病気にされます。彼らがまだ悔い改めなければ、主は彼らを死によって裁かれます。このように死ぬことは、第10章5節(10:5)にある、荒野でまき散らされることと等しいです。
1コリ 11:30 注3 すなわち、死んだ(Iテサロニケ4:13―16)。
1コリ 11:31 注1 すなわち、自分を識別した、自分について正しい評価をした。
1コリ 11:32 注1 一時的に。
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