出典 |
フットノート |
1コリ 12:13 注2 |
キリストの信者たちは水を通して、その霊の中で、(1)キリスト、(2)キリストの死(ローマ6:3)、(3)三一の神の御名―パースン(マタイ28:19)、(4)キリストのからだへとバプテスマされています。バプテスマは信者たちを、キリストと三一の神との有機的結合へと導入し、彼らをキリストのからだの生ける肢体とします。すべての賜物は、その霊によって個々の信者たちに配分されたその霊の現れですが、このからだの益のため、建造のためです。使徒はこの事に対して、大きな感覚がありました。彼はからだの感覚を持ち、からだを中心としていました。それは、コリント人や、霊の賜物に関してとても自己中心的であった歴代の多くの信者とは異なっています。ですから、この節に続いて、彼はコリント人に、からだに関して長い談話をしています。彼の意図は、彼らをこの自己追求から救い出して、からだの関心へ連れ戻すことです。こうして彼らを、自分の個人的利益のためではなく、からだの建造のためとならせるのです。 |
1コリ 12:13 注5 |
その霊の中にバプテスマされるとは、その霊の中に入り込み、彼の中で失われることです。その霊を飲むとは、その霊を受け入れて、わたしたちが彼で浸透されることです。これら二つの手順によって、わたしたちとその霊は混ざり合わされます。その霊の中にバプテスマされることは、混ざり合いの開始であって、一度限りです。その霊を飲むことは、混ざり合いの継続と成就であって、絶え間なく、永遠です。これには、絶えず主を呼び求め、生ける水の泉としての彼から、喜びをもって水をくむことが必要です(イザヤ12:3―4.ヨハネ4:10、14)。 |
1コリ 12:24 注1 |
互いに調整されることを意味します。神はキリストのさまざまな肢体を、すべて一つからだへと調和されました。このために、わたしたちは多くの造り変えを必要とします(ローマ12:2)。すなわち、実行上のからだの生活のために、わたしたちは天然の命から霊の命に、同じ霊によって造り変えられる必要があります。 |
1コリ 12:25 注1 |
からだの生活では、同じ顧みが、すべての肢体になされなければなりません。異なる顧みは、分裂を引き起こします。 |
1コリ 12:28 注1 |
ここの召会は、その宇宙的面と地方的面の両方を言っています。12節から27節(12―27節)で、召会はキリストのからだです。からだは、信者たちの命であるキリストを成長させ、彼を表現する有機体です。召会は、神が彼の行政を執行されるための会衆です。 |
1コリ 12:28 注2 |
神によって召され、遣わされた人たちは(1:1.ローマ1:1)、(1)福音を宣べ伝えて罪人に救いを得させ、召会建造の材料とならせます。(2)召会を設立します(使徒14:21―23)。(3)神聖な真理を教えます(参照、9:1のノート3)。彼らの務めは、全召会のための普遍的なものです。 |
1コリ 12:28 注3 |
神の啓示によって、神のために語り、神を語り出す人たち、また時には、霊感を受けて予言を語る人たちです(使徒11:27―28)。聖徒たちを啓発し、召会を設立するために、彼らは使徒に次ぐ者です。 |
1コリ 12:28 注4 |
使徒たちの教え(使徒2:42)と預言者たちの啓示にしたがって、真理を教える人たちです。預言者と教える者は地方的であり、宇宙的でもあります(エペソ4:11.使徒13:1)。 |
1コリ 12:28 注5 |
10節(10節)のノート1を参照。 |
1コリ 12:28 注6 |
9節(9節)のノート2を参照。 |