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出典

フットノート

マタイ 11:25 注5 「知恵や学識のある者」とは、20節から24節(20―24節)で罪定めされた三つの町の民のことです。彼らは、自分たちを知恵や学識があると見ていました。御父のみこころは、御父と御子についての知識を、このような者たちに隠すことでした。
マタイ 11:25 注6 「幼子たち」とは、弟子たちのことを言っており、彼らは知恵の子供たちでした(参照、19節のノート4)。御父は彼らに御子と御父を啓示することを喜ばれました。
マタイ 11:26 注1 文字どおりには、あなたの御前に。
マタイ 11:27 注1 「すべての事柄」とは、御父が御子に与えられたレムナントのことを言っています(ヨハネ3:276:37446518:9)。この言葉は、知恵や学識のある者が御子を退けたのは、御父が彼らを御子に与えるのを喜ばれなかったからであることを暗示しています。
マタイ 11:27 注2 完全な認識であって、単なる客観的な知識ではありません。御父だけが、御子に関するそのような認識を持っておられます。そして、御父に関しては、御子と御子が父を啓示しようとする者だけが、そのような認識を持っています。ですから、御子を知ることは、御父による啓示を必要とし(16:17)、御父を知ることは、御子による啓示を必要とします(ヨハネ17:626)。
マタイ 11:27 注2 完全な認識であって、単なる客観的な知識ではありません。御父だけが、御子に関するそのような認識を持っておられます。そして、御父に関しては、御子と御子が父を啓示しようとする者だけが、そのような認識を持っています。ですから、御子を知ることは、御父による啓示を必要とし(16:17)、御父を知ることは、御子による啓示を必要とします(ヨハネ17:626)。
マタイ 11:28 注1 これは、律法の戒めや宗教的規定を守ろうと努力する労苦のことだけではなく、何かに成功しようとして奮闘する労苦のことを言っています。このように労苦する人はだれでも、常に重荷を負っています。主は御父の道を承認し、神聖なエコノミーを宣言して御父をほめたたえた後、このような人々を、安息のために彼へ来るようにと招かれました。
マタイ 11:28 注2 安息は、律法と宗教から、また働きや責任の労苦と重荷から解放されることだけでなく、完全な平安と全き満足のことを言っています。
マタイ 11:29 注3 柔和、あるいは温和であるとは、どんな反対にも抵抗しないことを意味し、へりくだったとは、自分を高く考えないことを意味します。主はすべての反対の中で柔和であり、すべての拒絶の中で心のへりくだった方でした。彼はご自身を完全に父のみこころに服従させ、ご自分のために何もしようとはせず、ご自分のために何かを獲得しようと期待されませんでした。ですから、状況がどうであっても、彼は心の中に安息を持っておられました。彼は御父のみこころで完全に満足しておられました。
マタイ 11:29 注3 柔和、あるいは温和であるとは、どんな反対にも抵抗しないことを意味し、へりくだったとは、自分を高く考えないことを意味します。主はすべての反対の中で柔和であり、すべての拒絶の中で心のへりくだった方でした。彼はご自身を完全に父のみこころに服従させ、ご自分のために何もしようとはせず、ご自分のために何かを獲得しようと期待されませんでした。ですから、状況がどうであっても、彼は心の中に安息を持っておられました。彼は御父のみこころで完全に満足しておられました。
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