出典 |
フットノート |
1コリ 14:31 注2 |
あるいは、慰められる。 |
1コリ 14:32 注1 |
これは、預言者が彼らの霊の管理の下にあるのではなく、むしろ彼らの霊が、彼らの支配の下にあることを意味します。こうして、彼らはいつ預言すべきか、いつ預言することをやめるべきかを、決定することができます。それは召会の集会を、良い秩序に保つためです。彼らの霊は彼らの主人ではなく、機能する手段です。彼らは自分の意志決定によって、彼らの霊をどのように訓練し、活用するかを学ぶべきです。 |
1コリ 14:33 注1 |
26節から32節(26―32節)の命令は、おもに異言で語ることと預言することについてですが、その原則は、神ご自身であることにしたがって、平和でふさわしい秩序が保たれるべきであるということです。 |
1コリ 14:33 注2 |
これは、すべての地方召会が、実行において同じであるべきことを示します。 |
1コリ 14:33 注3 |
第1章2節(1:2)と第10章32節(10:32)は、「神の召会」という用語を用いています。しかしここでは、「聖徒たちの召会」となっています。「神の召会」は、召会の構成要素を指しています。召会は神の要素で構成されています。「聖徒たちの召会」は、召会の構成単位を指しています。召会は聖徒たちから構成されています。 |
1コリ 14:34 注1 |
これは、召会の集会の中でを意味します。28節(28節)のノート1を参照。35節(35節)も同じです。 |
1コリ 14:34 注2 |
第11章5節(11:5)によれば、女は頭を覆って(もちろん公に)預言することができます。使徒行伝第2章17節から18節(使徒2:17―18)と第21章9節(使徒21:9)は、女が預言したことを証明しています。ところが、テモテへの第一の手紙第2章12節(Iテモテ2:12)は、女が教えること、すなわち権威として教えて(そこでは、教えることは権威を行使することと関係があります)、教理を定義づけることは許されていないと言います。ですから、新約の原則によれば、女には召会の集会で語ることが許されていないとは、女が教理を定義することに関して、権威をもって教えることが許されていないことを意味します。この意味では、彼女たちは召会の集会では黙っているべきです。彼女たちは語ることが許されていません。なぜなら彼女たちは、男に服従しなければならないからです。これは、神が彼の行政の中で定められた権威と関係があります。神の行政における定めでは、女が男に対して、権威をもって語ることは許されていません。彼女たちは祈りをすることができ、預言、すなわち、おもに主のために語り、主を語り出すことができます。しかし彼女たちは、これを兄弟たちのおおいの下で行なわなければなりません。なぜならここで、彼女たちは服従するように命じられているからです。 |
1コリ 14:34 注3 |
モーセによって書かれた書のことを言います(マタイ5:17.7:12.11:13)。モーセの著作の中で、創世記第3章16節(創3:16)は、女が男の支配に服従することを命じています。これは神の定めです。 |
1コリ 14:36 注1 |
これは、地方召会が実行において、他の召会に従うべきであることを示しています。すべての地方召会は、使徒たちから出て来た神の言葉にしたがって、その霊の普遍的な命令に服従すべきです。 |
1コリ 14:37 注1 |
これは、神の新約エコノミーを遂行するために、預言者、あるいは霊の人であることが、召会では高く評価されることを示しています。預言者は、召会における神の行政の中では使徒の次です(12:28)。預言者は神のために語り、神を語り出す者、キリストと召会に関する奥義の啓示を受けた者です(エペソ3:5)。その啓示は、召会を建造するための土台です(エペソ2:20)。霊の人は、神の霊と混ざり合った霊にしたがって生きる人であり、またすべての霊的な事柄を識別することができる人です(3:1.2:15とノート)。そのような霊的に知識のある人たちは、使徒パウロの教えが主の命令であることを、はっきりと知るべきです。また彼らの語ることは、使徒の教えと一致すべきです。パウロは混乱したコリント人を対処する時、彼の霊は強く、言葉は率直でした。彼は、自分の教えが主の命令であり、主の真の権威を持っていることをはっきり知るようにと、彼らに命じました。 |