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出典

フットノート

1コリ 15:56 注1 死は悪魔からであり(ヘブル2:14)、罪をもってわたしたちを刺し通して死に至らせます(ローマ5:12)。神の贖いにおいて、キリストはわたしたちに代わって罪とされました(IIコリント5:21)。それは、彼の死を通して罪を罪定めし(ローマ8:3)、こうして死のとげを廃棄するためでした。そして彼の復活を通して、死は復活の命によって飲み尽くされています。
1コリ 15:56 注2 罪は律法を通して、わたしたちの良心の中で、また神の御前で、のろいと罪定めをわたしたちにもたらします(ローマ4:155:13207:7―8)。ですから、律法はわたしたちを殺す罪の力となります(ローマ7:10―11)。キリストの死は、わたしたちに対する律法の要求を満たして(Iペテロ3:182:24)、罪の力は廃棄されました。ですから、キリストの死を通して、罪は罪定めされ、律法は無効にされました。そして彼の復活を通して、死は飲み尽くされました。こういうわけで、わたしたちは神に感謝しなければなりません。神はわたしたちに、主イエス・キリストの死と復活を通して、罪と死に対して、このような勝利を与えてくださったのです(57節)。
1コリ 15:57 注1 キリストがご自身の死と復活を通して、罪と死に勝利されたことは、単に成就された事実としてわたしたちが受け入れるためだけでなく、わたしたちの日ごとの、命における経験とならなければなりません。この経験は、復活したキリストが命を与える霊となって(45節)、わたしたちの霊と一つになる(6:17)ことを通してです。ですから、わたしたちはこの混ざり合った霊にしたがって生き、歩くべきです。このようにして、わたしたちの主イエス・キリストを通して、わたしたちに勝利を与えられる神に、絶えず感謝がささげられるでしょう。
1コリ 15:58 注1 復活の真理を疑うのは、動かされることです。復活を確信して、復活の実際の中にとどまり続けるのは、堅く立って動かされないことです。
1コリ 15:58 注2 復活の真理を信じないことは、わたしたちを将来に対して失望させ、こうして、主の働きについて落胆させます。信仰は、主の働きに満ちあふれようとする強い切望をわたしたちに与え、主の再来の時に、復活の中で主を喜ばせることを期待させます。
1コリ 15:58 注3 これは、わたしたちの天然の命や天然の能力によってではなく、主の復活の命と力によってです。わたしたちが主の復活の命の中で、主の復活の力をもって、主のために労苦することは、決して無駄になることはありません。それは、罪人にキリストを宣べ伝え、聖徒たちに命を供給し、手順を経た三一の神を経験して、金、銀、宝石をもって召会を建造する(3:12)ことを通して、その結果、神の永遠のご目的を成就することになるのです。この労苦によって、わたしたちは義人の復活の日に、再来される主の褒賞を受けるでしょう(3:14マタイ25:2123ルカ14:14)。
1コリ 16:1 注1 これはこの書簡の中で、使徒が取り扱った十一番目の問題、金銭、マモン、財物に関する問題です。堕落した人類はすべて、マモンと財物の支配下にあります(マタイ6:19―2124―253019:21―22ルカ12:13―19)。ペンテコステの日に、聖霊の力の下で、すべての信者は金銭の支配を覆し、彼らの所有物をすべて共有にして、貧しい人たちに分配しました(使徒2:44―454:3234―37)。信者たちの堕落した性質の弱さのゆえに(参照、使徒5:1―116:1)、その実行は長続きしませんでした。それは使徒パウロの時までに、すでに終わっていました。ですから、信者たちは恵みが必要であり、マモンと物質の力に打ち勝って、これらのものを、サタンの主権から解き放つ必要がありました。それは、それらが主にささげられて、主のご目的が成就するためです。復活の命は、信者がそのような生活をするための供給です。すなわち、財物にではなく神に信頼する生活、今日のためではなく将来のための生活、この時代のためではなく来たるべき時代のための(ルカ12:16―21Iテモテ6:17―19)生活、一時的で不確かな富の横奪を覆す生活です。この問題の取り扱いが、復活の命の実際について述べた後に来るのは、この理由であるでしょう。ともかく、この取り扱いは、召会の中の神の行政と関係があります。
1コリ 16:1 注2 これは再び、すべての地方召会が、実行において同じであるべきことを、強く示しています(7:1711:1614:33)。
1コリ 16:2 注1 一週の第七日、安息日は、神の創造の記念でした(創2:1―3出20:811)。週の第一日は主の復活の象徴であり、主が死人の中から復活された日であって(ヨハネ20:1とノート1)、主日と呼ばれています(啓1:10)。新約の聖徒たちはこの日(使徒20:7)、主の復活の日に集まって、彼らの財物をささげます。それは、彼らが主の復活を通して(Iペテロ1:3)主と共に復活したこと(エペソ2:6)を象徴し、また彼らが天然の命によってではなく、復活の命によって、復活の中で集まって主を記念し、彼らのささげ物をもって神を礼拝することを象徴します。
1コリ 16:3 注1 文字どおりには、恵み。これは、使徒の指導の下でなされた、異邦人世界の召会とエルサレムに在る召会との交わりでした(IIコリント8:1―2ローマ15:25―27)。
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