出典 |
フットノート |
1コリ 16:8 注1 |
この書簡はエペソで書かれました。使徒は第三回目の務めの旅行の時、そこに三年間とどまりました(使徒19:21―22.20:1、31)。 |
1コリ 16:12 注1 |
コリント人はこれによって、パウロのアポロに対する態度と、両人の間の関係が、コリント人のえり好みとは明確な対照をなしたことを認識したはずです(1:11―12)。パウロの態度と関係は一を保ち、彼らのえり好みは分裂を引き起こしました。 |
1コリ 16:12 注2 |
パウロもアポロも、その霊の中に生きている人でした。しかも、一人がもう一方に召会を訪問することを促したのに、もう一方はそうすることを願いませんでした。これは、二人ともその霊の中で自由を持っており、その霊も彼らの中で自由を持っていたことを見せています。これはまた、だれも主のための働きに対して、何の統制も行使しなかったことを見せています。 |
1コリ 16:12 注2 |
パウロもアポロも、その霊の中に生きている人でした。しかも、一人がもう一方に召会を訪問することを促したのに、もう一方はそうすることを願いませんでした。これは、二人ともその霊の中で自由を持っており、その霊も彼らの中で自由を持っていたことを見せています。これはまた、だれも主のための働きに対して、何の統制も行使しなかったことを見せています。 |
1コリ 16:13 注2 |
客観的な信仰。わたしたちが信じるものを言っています。 |
1コリ 16:13 注1 |
すなわち、どのような異端によっても、特に復活はないと言う異端によって、揺さぶられてはなりません。 |
1コリ 16:13 注3 |
すなわち、信仰が強く、堅く立っている人たちであって、理解力では子供のようでなく(14:20)、教えの風に吹き回されたり、もてあそばれたりする赤子でもない(エペソ4:14)人です。そのためには、命の成長が必要です(3:1、6)。コリント人は、命の成長を無視し、それに欠けました。 |
1コリ 16:14 注1 |
第13章で説明されているように。 |
1コリ 16:18 注2 |
わたしたちが聖徒たちと接触し、関係を持つのは、わたしたちの魂の感情ではなく、わたしたちの霊の中で、霊によってでなければなりません。 |
1コリ 16:18 注1 |
これは、ある人の霊が供給した、キリストの豊富によってであったに違いありません。それが、他の人の霊に触れることができるのです。 |