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出典

フットノート

2コリ 1:12 注4 すなわち、肉の中にある、人の知恵。神の恵みが神ご自身と等しいように、これはわたしたち自身と等しいです。
2コリ 1:12 注5 わたしたちの享受となられる神(参照,Iコリント15:10のノート1)。ここの恵みは11節(11節)の賜物です。使徒たちは、この恵みを苦難の中で受け、復活を経験しました。
2コリ 1:14 注1 Iコリント第3章13節(Iコリント3:13)のノート1を参照。
2コリ 1:15 注1 文字どおりには、第二の。これは、使徒が二度コリントに来ることによって与えられる二倍の恵みを言っています。この節と次の節で、彼が二度にわたって来ることが書かれています。使徒の来訪によって、神の恵み、すなわち、命の供給と霊的な享受としての神が、信者たちに分与されました。彼が二度来ることは、そのような恵みの二倍の分け前を、彼らにもたらすことになります。
2コリ 1:16 注1 アカヤの北にあるローマ帝国の州。ピリピとテサロニケの二つの都市は、マケドニヤにありました。
2コリ 1:18 注1 「しかし」は対比を与えます。使徒は前の節で、彼が「しかり」であり、また「否」である者と非難されたことに言及しています。しかしこの節では、神が信実なので、使徒たちの宣べ伝えは、「しかり」であり、また「否」であるのではない、と言って、自分を弁護しています。ですから、彼らは「しかり」であり、また「否」であるというような、移り気な者ではないのです。彼らが宣べ伝えたものは、彼らそのものであり、また彼らの生活そのものでした。
2コリ 1:18 注2 使徒たちが宣べ伝えた言葉(Iコリント1:18)、キリストに関する彼らのメッセージ(19節)。
2コリ 1:19 注1 「なぜなら」は、前の節で述べられたことの理由が、ここで記述されることを示します。神は真実であり、決して変わりません。特に、キリストに関する約束は、変わることがありません。ですから、キリストに関して使徒たちが宣べ伝えた言葉は、同じように不変でした。なぜなら、神が彼の真実な言葉によって約束されたキリスト、また彼らの福音の中で宣べ伝えられたキリストは、「しかり」であり、また「否」とはなられなかったからです。むしろ、キリストの中には「しかり」があります。神の約束にしたがって彼らが語ったキリストは、「しかり」であり、また「否」とはなられなかったので、キリストについて彼らが宣べ伝えた言葉も、「しかり」であり、また「否」ではありませんでした。彼らの宣べ伝えも生活も、キリストが何であるかにしたがっていました。彼らはキリストを宣べ伝え、キリストを生きたのです。彼らはキリストと同じであったので、「しかり」であり、また「否」の者ではありませんでした。
2コリ 1:19 注2 すなわち、シラス。使徒行伝第15章22節(使徒15:22)、第18章5節(使徒18:5)を参照。
2コリ 1:20 注1 ここでも、「なぜなら」は、前の節で述べられたことの理由が、ここで記述されることを示します。信実な神が約束し、誠実な使徒たちが宣べ伝えたキリストは、「しかり」であり、また「否」になることはなく、不変でした。なぜなら、彼の中に、神のすべての約束の「しかり」があり、彼を通して、使徒たちと信者たちは、神に「アーメン」を言い、神に栄光を帰すからです。
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