出典 |
フットノート |
2コリ 2:11 注1 |
これは、邪悪な者、サタンがすべての背後にいて、働いていることを明らかにします。 |
2コリ 2:11 注2 |
すなわち、計画、策略、仕掛け、もくろみ、たくらみ、意図、目的。 |
2コリ 2:12 注1 |
使徒はまた、10節から11節(10―11節)で述べたことに加えて、彼がコリントの信者たちを心配していることについて語りました。トロアスで、一つの門が彼に開かれていましたが、テトスに会えなかったので、主の中にいてもなお、彼の霊には安息がありませんでした。彼は第一の手紙によって、コリントの人々にどのような影響があったかを知るために、テトスに会うことを切望していたのです。それから彼は、その情報を得るために、テトスに会うことを切望しながらトロアスを発ち、マケドニヤへ進みました(13節)。これは、コリントの人々に対する彼の大きな愛情を示しました。彼の召会に対する関心は、福音の宣べ伝えに対する関心よりも大きかったのです。 |
2コリ 2:12 注2 |
あるいは、主によって。すなわち、人の努力によってではなく。 |
2コリ 2:13 注1 |
これは、コリント人への第一の手紙第16章18節(Iコリント16:18)で示されたように、使徒が彼の霊の中で生き、行動した人であったことを示します。 |
2コリ 2:13 注2 |
この手紙は、パウロの第三の務めの旅行の途中でエペソに滞在した後に、マケドニヤで書かれました(8:1.使徒20:1)。 |
2コリ 2:14 注2 |
わたしたちは、征服され、捕らえられた捕虜として、キリストの凱旋行進の中で、キリストの凱旋を祝賀し、それにあずかっています。使徒たちは、そのような捕虜でした。彼らはキリストの務めにおけるキリストの捕虜でした。彼らの動きは、キリストが敵に勝利したことに対する神の祝賀でした。 |
2コリ 2:14 注3 |
第1章5節(1:5)のノート2を参照。 |
2コリ 2:14 注1 |
「ここで用いられている動詞は、・・・・一人の人を捕虜として、凱旋行進の中で率いることを意味する。・・・・この句全体は、キリストの敵に対する凱旋において、捕虜を率いることを意味する。神は、敵に対するキリストの戦勝を祝賀しておられる。パウロはその凱旋行進の行列に加わっている捕虜である(彼はかつて福音の最大の敵対者であった)。しかし同時に、彼は香を運ぶ者(ここでの比喩は、捕虜であると共に香を運ぶ者でもある)でもあった。香を運ぶ者として、彼は行列が行進している中で香をまき散らした(当時、凱旋行進の時、常に行なわれていた)。征服された敵の一部は、行列がローマの神殿に到着すると、死刑にされた。彼らにとって、香のかおりは、『死へと至らせる死のかおり』であった。しかし、死を免れた残りの者にとっては、『命へと至らせる命のかおり』であった」(コニーベアー)。(同じ比喩が、コロサイ2:15で使われています)。神は常に使徒たちを、彼らの務めのために、このような凱旋の方法で導かれます。 この手紙の第二区分、第2章12節から第7章16節で、使徒は、自分と同労者たちの務めについて語りました。彼はまずその務めを、キリストの戦勝祝賀にたとえました。このキリストのための務めにおける動きは、ある場所から他の場所へと、神の導きの下で行なわれた凱旋行進のようでした。彼と同労者たちは、キリストの捕虜でした。そして彼らには、キリストの凱旋の栄光のために、キリストの香ばしいかおりがありました。彼らはキリストによって征服されて、彼の凱旋行進の中の捕虜となり、至る所で、キリストの香ばしいかおりをまき散らしていました。これが、キリストのための彼らの務めでした。 |
2コリ 2:14 注4 |
「ギリシャ語の用法によれば、『香り』と『知識』は同格である。したがって、キリストの知識は、使徒たちの働きを通して、その性質と効力を伝達することで象徴されている」(ビンセント)。 |