出典 |
フットノート |
2コリ 2:14 注5 |
香を運ぶ者として、凱旋行進の中でのように、キリストの凱旋の務めにおいて、キリストの知識の香りをまき散らしています。使徒たちは、キリストの凱旋行進における捕虜であると同時に、キリストの務めにおける香を運ぶ者でもありました。 |
2コリ 2:15 注1 |
使徒たちは、キリストで浸透されて、キリストの香ばしいかおりとなりました。彼らがキリストから出てくる香ばしいかおりであっただけでなく、キリストご自身が香りであり、それは彼らの生活と神の働きの中で、まき散らされました。それは、救われる者には、命から命へと至らせる香りであり、滅びる者には、死から死へと至らせる香りでした。 |
2コリ 2:16 注1 |
すなわち、死という結果になる、命という結果になる。これは、使徒たちの務めの、二種類の人に対する二種類の効果について言っています。これは命と死の問題です!キリストにある神の捕虜、その霊によってキリストで浸透されている人だけが、奉仕者としてふさわしく資格づけられています(3:5―6)。 |
2コリ 2:16 注1 |
すなわち、死という結果になる、命という結果になる。これは、使徒たちの務めの、二種類の人に対する二種類の効果について言っています。これは命と死の問題です!キリストにある神の捕虜、その霊によってキリストで浸透されている人だけが、奉仕者としてふさわしく資格づけられています(3:5―6)。 |
2コリ 2:16 注2 |
あるいは、適性のある、資格がある、適合する、に値する。第3章5節(3:5)の「資格がある」と同じ。 |
2コリ 2:17 注1 |
ギリシャ語は、売ったり、行商したりすることを意味します。もともと、低級な行商人が人をだまして、安物を高く売りつけることを言います。多くの人は、このような行商を行ない、自分の利益のために、神の言葉に混ぜ物をしました。しかし使徒たちは、そうではありませんでした。彼らは務めの中で、誠実な者として、また神からの者として、神の御前でキリストにあって、神の言葉を語りました。使徒たちはその務めにおいて、何と誠実で真実であったことでしょう! |
2コリ 2:17 注2 |
すなわち、神の言葉を供給する。 |
2コリ 3:2 注1 |
信者たちは、使徒たちの労苦の実であって、使徒たちとその務めを人に推薦しました。ですから彼らは、使徒たちの生ける推薦状となりました。この推薦状の内容は、内住のキリストであり、使徒たちによって信者たちの内側のすべての部分に書かれました。 |
2コリ 3:2 注2 |
コリントの信者たちは、使徒たちの生ける推薦状として、使徒たちの心の中に書き記されていました。こうして、彼らは使徒たちによって持ち運ばれており、使徒たちから引き離されることは不可能でした。彼らは使徒たちの心の中にあり(7:3)、彼らの生ける推薦状として、彼らによって至る所にもたらされました。 |
2コリ 3:3 注2 |
すなわち、使徒たちの務めによって書かれたキリストの手紙。使徒たちは、キリストで満たされていました。ですから、彼らの務めは、接触した人たちに、自然にキリストを供給し、その心の中にキリストを書き記し、キリストを伝える生ける手紙としました。その手紙は、使徒たちの心の中(2節)と、信者たちの心の中(3節)の両方に書き記されました。このことは、この書に記述された正常な新契約の務めが、常にその務めを受け入れる人たちの心の中と、務めをする人たちの心の中の両方に、何かを書き記すことを見せています。キリストを供給するこのような務めは、命のものであり、その手紙の本質は命を与える霊です(参照,6節と,3節のノート3)。 |