出典 |
フットノート |
2コリ 3:7 注1 |
旧契約、人を殺す死んだ文字の契約の務め。 |
2コリ 3:7 注2 |
一時的に、しかもモーセの顔の上にだけ輝いた栄光(出34:29,35)。 |
2コリ 3:8 注1 |
使徒の新しい契約の務め。この契約は生ける霊の契約であり、命を与えます。 |
2コリ 3:8 注2 |
キリストの顔に現された神の栄光。それは使徒たちの心の中に、永遠に輝く(4:6)神ご自身であり、旧契約のモーセの務めの栄光にはるかにまさります(10節)。 |
2コリ 3:9 注1 |
旧契約の務めは、死の務めとなりました(7節)。なぜなら、旧契約は罪定めをもたらし、死に至らせるからです(ローマ5:13,18,20―21)。ですから、それは罪定めの務めでもあります。 |
2コリ 3:9 注2 |
新契約の務めは、その霊の務めであり、命を与えます(8,6節)。なぜなら、新契約は神の義をもたらし、命に至らせるからです(ローマ5:18,21)。ですから、それは義の務め、義とする務めでもあります。こうして、新契約の務めの焦点はその霊と義です。その霊は命の供給です。義は、その霊としてわたしたちの命となったキリスト(神のかたち)を(17節)生かし出すこと、またその真の表現です。 |
2コリ 3:9 注3 |
新契約の使徒の務めには、ただ栄光があるだけでなく、神の栄光にあふれています。そしてそれは、旧契約のモーセの務めの栄光にまさっています(10節)。 |
2コリ 3:10 注2 |
すなわち、律法の務めの栄光が、モーセの顔の上の一時的な栄光の輝きであったという事実において。この事実において、さらにまさった栄光のために、旧契約の栄光は消え去っていきました。新契約の務めの栄光は、神の栄光であり、神ご自身でさえあり、キリストの顔において永遠に現される栄光です。これは、モーセの顔の上で輝いた旧契約の務めの一時的な栄光にまさっています。この栄光のゆえに、律法の務めの一時的な栄光は消え去り、もはや存在しません。 |
2コリ 3:10 注1 |
モーセの顔に輝いた一時的な栄光。 |
2コリ 3:10 注3 |
すなわち、消え去っていくもの(7節)。 |