出典 |
フットノート |
2コリ 3:18 注9 |
すなわち、一定の栄光の度合いから、また別の栄光の度合いへと。これは、復活における命の前進していく過程を示します。 |
2コリ 3:18 注8 |
復活して栄光を受けられたキリストのかたち。同じかたちへと造り変えられるとは、復活して栄光を受けられたキリストに同形化されること、彼と同じようにされることです(ローマ8:29)。 |
2コリ 3:18 注7 |
わたしたちがおおいのない顔で、主の栄光を見つめ、映す時、彼はご自身の要素と彼が成し遂げたものの要素を、わたしたちに注入されます。こうして、わたしたちは彼の命の力によって、彼の命の本質をもって、新陳代謝的に造り変えられ、彼の命の形を持つようになります。これは、おもにわたしたちの思いが新しくされることによって(ローマ12:2)、彼の姿に変えられていくことです。「造り変えられていきます」とは、わたしたちが造り変えの過程にあることを示します。 |
2コリ 3:18 注11 |
「霊なる主」は、父なる神や、主なるキリストのような複合名称と考えられます。この表現は、主なるキリストはその霊であり、その霊は主なるキリストであることを、強く証明し、確認するもう一つの箇所です。この章では、この霊は書き記す霊(3節)、命を与える霊(6節)、供給する霊(8節)、自由にする霊(17節)、造り変える霊(18節)として啓示されています。そのようなすべてを含む霊は、キリストの奉仕者にとって、また神の新約エコノミーのための務めにとって、極めて重要です。 使徒は新契約の務めについて語った後、続けて新契約の奉仕者たちについて語ります。12節から18節(12―18節)で、彼はまず、新契約の奉仕者たちを、心が主に向いている人、顔からおおいが取り除かれた人、その霊としての主を享受し、その霊によって律法の束縛から自由にされている人、主を見つめ、映すことによって、主のかたちへと造り変えられていく人として描写しています。そのような造り変えの過程を経過して、彼らはその霊によって、キリストのパースンとみわざの要素をもって、キリストの奉仕者に構成されます。ですから、彼らのパースンは、キリストから、キリストをもって、構成されています。そして彼らの務めは、キリストを人に供給し、すべてを含むキリストを、内住の命を与える霊として注入することです。すべての信者は、そのような奉仕者に倣って同じような人となり、同じ種類の務めを達成すべきです。 |
2コリ 3:18 注10 |
「から」は、造り変えがその霊によって引き起こされるというよりも、その霊から出てきたものであることを示します。 |
2コリ 4:1 注1 |
第3章12節から18節(3:12―18)で使徒は、新契約の奉仕者たちが、どのようにして構成されるかを描写しました。この章では続けて、1節から6節(1―6節)で、彼らが新契約の奉仕者として、その務めを遂行するために、どのように振る舞ったかを告げています。そして7節から18節(7―18節)では、彼らが生きた生活、彼らを務めと一つにさせた生活を記述しています。この章は、彼らの経験の幾つかの面、すなわち、新契約の務めについて、第3章で語られたことと一致し、それを実証します。(1)使徒が8節から9節(8―9節)で経験した平安。それは混乱のただ中にあって、命が現された結果です。これは、第3章9節(3:9)で述べられた平安の実(ヤコブ3:18)としての義、すなわち神のかたちの正しい、秩序ある表現と一致します。(2)10節から12節(10―12節)の命。これは、第3章6(3:6)、8(3:8)、17節から18節(3:17―18)のその霊と一致します。(3)16節(16節)の新しくされること。これは、第3章18節(3:18)の造り変えられることと一致します。(4)17節(17節)の永遠の重い栄光。これは、第3章18節(3:18)の栄光のさまざまな度合と一致します。 |
2コリ 4:1 注3 |
Iテモテ第1章13節(Iテモテ1:13)のノート3を参照。 |
2コリ 4:1 注2 |
第2章12節から第3章18節(2:12、3:18)で記述された務め。すなわち、すべてのキリストの使徒たちにとって共通の唯一の務め。彼らの数は多くても、彼らには唯一の務め、神の新約エコノミーを成就するための新契約の務めしかありません。使徒たちのすべての働きは、キリストを人々に供給し、彼のからだを建造するというこの唯一の務めを遂行することです。 |
2コリ 4:2 注1 |
ギリシャ語の本来の意味は、「わなにかける」です。後に、「駄目にする」、すなわち金や酒に混ぜ物をすること、などに使われました。ここでの意味は、第2章17節(2:17)の「混ぜ物をする」よりもさらに狭い意味であり、「利益を上げるために」という意味が加わります。 |
2コリ 4:2 注2 |
「真理」は神の言葉の別の言い方です(ヨハネ17:17とノート)。それは、「実際」を意味し、神の言葉において啓示されたすべての実際のものを示し、それはおもに神のすべてのものの実際であるキリストです。真理を表明するとは、使徒たちがキリストを生きることです。彼らは真理であるキリストを生きた時(ヨハネ14:6)、真理を表明しました。キリストが彼らから生かし出され、それによって真理が彼らから表明されました。こうして、神の御前で、すべての人の良心に対して、彼らは自分たちを推薦しました。使徒たちは、神の言葉に混ぜ物をすることなく、キリストの栄光の福音の輝きのために、絶大な宝の偉大な力によって、この真理を表明しました(6節)。この絶大な宝とは、神の光が使徒たちを照らすことによって、彼らに入り、彼らの内容となったキリストご自身(7節)です。 |