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出典

フットノート

2コリ 4:13 注2 「聖霊であるとは、はっきりしていない。しかし、これは単に人の性質でもない。それは、新しくされた人全体に浸透し、この人の特徴となる内住の聖霊である」(アルフォード)。「信仰の霊。聖霊であるとははっきりしない。かと言って、人に属する機能や性質でもない。それは両者が混ざり合ったものである」(ビンセント)。信仰の霊とは、聖霊とわたしたちの人の霊との混ざり合いです。わたしたちは、詩篇の作者が行なったように、そのような霊を活用して、信じ、語らなければなりません。その語る事柄とは、わたしたちが主を経験したことについてであり、特に彼の死と復活についてです。信仰は、わたしたちの思いの中にではなく、聖霊と混ざり合っているわたしたちの霊の中にあります。疑いは、わたしたちの思いの中にあります。ここで「霊」は、その混ざり合った霊によって、使徒たちが復活の中で十字架につけられた命を生き、その務めを遂行したことを示します。
2コリ 4:14 注1 これは、使徒たちが自分を死んだ者と見なしたことを示します(1:9)。なぜなら彼らは常に、主の目的のために、死に渡されていたからです(11節)。
2コリ 4:15 注1 文脈によれば、恵みとは、使徒たちの中で命、また命の供給となられたキリストご自身です。これによって、彼らは十字架につけられた生活をし、復活の命を表現しました。それは、神の新契約のための彼らの務めを遂行するためでした。Iコリント第15章10節(Iコリント15:10)のノート1を参照。
2コリ 4:16 注1 外なる人は、器官としての体と、命またパースンとしての魂から成っています。内なる人は、命またパースンとしての再生された霊と、器官としての新しくされた魂から成っています。魂の命は、否まれなければなりません(マタイ16:24―25)。ところが魂の機能、すなわち思い、意志、感情は、征服されることによって、新しくされ、引き上げられなければなりません(10:4―5)。その結果、これらは、内なる人のパースンである霊によって用いられることができます。
2コリ 4:16 注2 あるいは、消耗していく、衰えていく、すり減っていく。絶え間ない殺し、死の働きによって、わたしたちの外なる人、すなわち、わたしたちの物質の体は、それを活気づける魂と共に(Iコリント15:44とノート)、消耗し、すり減っていきます。
2コリ 4:16 注1 外なる人は、器官としての体と、命またパースンとしての魂から成っています。内なる人は、命またパースンとしての再生された霊と、器官としての新しくされた魂から成っています。魂の命は、否まれなければなりません(マタイ16:24―25)。ところが魂の機能、すなわち思い、意志、感情は、征服されることによって、新しくされ、引き上げられなければなりません(10:4―5)。その結果、これらは、内なる人のパースンである霊によって用いられることができます。
2コリ 4:16 注3 復活の命の新鮮な供給で養われることによって。わたしたちの死ぬべき体、外なる人は、死の殺す働きによって、衰えていきます。そしてわたしたちの内なる人、すなわち、わたしたちの再生された霊は、内なる各部分と共に(エレミヤ31:33ヘブル8:10ローマ7:22,25)、復活の命の供給をもって、新陳代謝的に、日ごとに新しくされていきます。
2コリ 4:17 注1 死に渡されること、十字架の働きを指しています(10節)。
2コリ 4:17 注2 文字どおりには、過剰に過剰を加えて。
2コリ 4:17 注3 つかの間の軽い患難との対比。
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