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出典

フットノート

2コリ 5:13 注2 人の益のための、愛の中での自制。
2コリ 5:14 注1 わたしたちに対するキリストの愛。それは、彼がわたしたちのために死なれたことを通して、十字架の上で現されました(ガラテヤ2:20)。
2コリ 5:14 注2 ギリシャ語は、「四方から押しつける、身動きのできないように押さえつける、強制的に制限する、限られた範囲に詰め込む、(壁に挟まれた細い道にいるように)一つの路線、目的へと閉じ込める」(同じギリシャ語が、ルカ4:3812:50使徒18:5ピリピ1:23で使われています)。使徒たちは、このようにキリストの愛によって、彼に生きるように押し迫られていました。
2コリ 5:14 注3 すなわち、という結論に達しました(おそらく回心の時)。
2コリ 5:14 注4 キリストの愛の死は、使徒が押し迫られて、キリストを愛する命を生きるようになった動機の要因です。
2コリ 5:14 注5 キリストは、わたしたちすべてのために死の宣告を受けて、わたしたちの身代わりとして死なれました。ですから、神の目から見て、わたしたちはみな死んだのです。死ぬことは人に定められているのですが(ヘブル9:27)、わたしたちは死ぬ必要はありません。
2コリ 5:15 注1 キリストの死は、わたしたちを死から救います。ですから、わたしたちは死ぬ必要はありません。さらにこれは、彼の復活を通して、もはや自分自身にではなく、彼に生きるようにさせます。
2コリ 5:15 注2 主に生きることは、主のために生きることよりも深い意義があります。主のために生きるとは、わたしと主が、なおも二つであることを暗示します。しかし主に生きるとは、わたしが主と一つであることを示します。それは結婚生活で、妻が夫と一つであるのと同じです。
2コリ 5:16 注1 キリストの死が、わたしたちすべてを、彼の復活を通して、新しい人、肉にしたがっていない人にしたと、使徒たちは判断しました。ですから、彼らはもう、だれをも肉にしたがって知ろうとはしませんでした。彼らはキリストを、肉にしたがって知っていたのですが、今はもう、そのようには知ろうとはしませんでした。
2コリ 5:16 注2 初めの「知ろう」は、内側の、主観的な知覚のことを言います。「知っていた」と二つ目の「知ろう」は、外側の、客観的な知識のことを言います。ローマ第6章6節(ローマ6:6)のノート1を参照。
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