出典 |
フットノート |
マタイ 12:29 注4 |
これは、主が悪鬼どもを追い出す時、まずサタンを縛り上げることを示します。 |
マタイ 12:30 注1 |
マルコ第9章40節(マルコ9:40)のノート1を参照。 |
マタイ 12:31 注1 |
その霊を冒とくすることと、その霊を侮ることとは異なります(ヘブル10:29)。その霊を侮るとは、故意に彼に従わないことです。多くの信者がこれを行ないます。彼らがこの罪を告白するなら、赦され、主の血によって清められます(Iヨハネ1:7、9)。しかし、その霊を冒とくするとは、パリサイ人が24節(24節)でしたように、彼をそしることです。主が悪鬼どもを追い出したのは、その霊によってでした。しかしパリサイ人はそれを見て、主は悪鬼どものかしら、ベルゼブルによって悪鬼どもを追い出していると言いました。これは、その霊に対する冒とくでした。そのような冒とくによって、パリサイ人の天の王に対する拒絶は極みに達しました。 |
マタイ 12:32 注1 |
三一の神のエコノミーにおいて、御父は贖いの計画を心に抱かれ(エペソ1:5、9)、御子は御父の計画にしたがって贖いを達成され(Iペテロ2:24.ガラテヤ1:4)、その霊は罪人に臨んで、御子が達成した贖いを適用されます(Iコリント6:11.Iペテロ1:2)。罪人が、タルソのサウロがしたように御子を冒とくしても、その霊はやはり彼の上で働かれます。ですから彼を悔い改めさせ、御子を信じさせて、彼に赦しを得させる立場があります(参照、Iテモテ1:13―16)。ところが、もし罪人がその霊を冒とくするなら、その霊は彼の上で働く立場がなく、彼を悔い改めさせ信じさせるものはありません。ですから、そのような人が赦されることは不可能です。これは理にかなった、当然のことであるだけでなく、主の言葉によって啓示されているように、神の統治の原則にしたがった行政的なものです。 |
マタイ 12:32 注2 |
神の行政上の統治において、彼の赦しは経綸上のものです。彼の統治のために、彼は幾つかの時代を計画されました。キリストの最初の到来から永遠までの期間は、経綸上、三つの時代に分けられます。(1) この時代、現代の時代であって、キリストの最初の到来から彼の再来までです。(2) 来たるべき時代、千年王国であって、復興と天的支配のための一千年間、キリストの再来から旧天旧地の終わりまでです。(3) 永遠、新天新地の永遠の時代です。この時代における神の赦しは、罪人の永遠の救いのためです。この赦しは、罪人と信者の両方に与えられます。来たるべき時代における神の赦しは、信者の経綸上の報いと関係があります。信者が救われた後に罪を犯すなら、しかも彼が死ぬ前、あるいは主の再来の前に、告白と主の血の清めを通して清められていないなら(Iヨハネ1:7、9)、この罪はこの時代では赦されず、そのまま残って、キリストの裁きの座で裁かれます(IIコリント5:10)。そのような場合、その信者は王国の褒賞を得ることができず、すなわち、天の王国の出現の時、キリストと共に栄光と喜びにあずかることがなく、この罪が清算され、赦されるために、来たるべき時代に訓練されます(18:23―35)。この種の赦しは彼の永遠の救いを保持しますが、来たるべき王国の栄光と喜びにあずかるよう、彼を資格づけることはありません。 |
マタイ 12:33 注1 |
文字どおりには、から。 |
マタイ 12:36 注1 |
ギリシャ語は、「働いていない」を意味します。無益な言葉とは、何の働きもしない言葉、効力のない言葉です。それは何の積極的な機能も持たず、無益で、何のためにもならず、実を結ばず、不毛です。そのような言葉を語る者は、裁きの日にそれら一つ一つについて言い開きをするでしょう。これが事実であれば、邪悪な言葉については、どれほど多く言い開きをしなければならないことでしょう! |
マタイ 12:37 注1 |
これは何という警告でしょう! わたしたちは自分の言葉を制御し、制限することを学ばなければなりません。 |
マタイ 12:38 注1 |
しるしとは、ある霊的な意義を持つ奇跡です。ユダヤ人は常にしるしを求めます(Iコリント1:22)。 |
マタイ 12:39 注1 |
32節(32節)の「時代」は時のことを言い、ここの「世代」は人々のことを言います。 |