出典 |
フットノート |
2コリ 6:14 注3 |
使徒は五つの例証を用いて、信者と未信者との違いを描写しています。(1)義と不法との間に、何の提携も何の分け前もないこと。(2)光と暗やみとの間に、何の交わりも何の交流もないこと。(3)キリストとベリアルとの間に、何の調和も何の一致もないこと。(4)信者は未信者と共に分け合うどんな分も、どんな分け前もないこと。(5)神の宮と偶像との間に、何の同意も何の一致もないこと。これらの例証はまた、信者が義、光、キリスト、神の宮であり、未信者が不法、暗やみ、ベリアル(サタン、悪魔)、偶像であるという事実を啓示しています。 |
2コリ 6:14 注4 |
文字どおりには、に対して。 |
2コリ 6:15 注1 |
文字どおりには、に対して。 |
2コリ 6:16 注1 |
生ける神として、神はわたしたちの間に住み、わたしたちの間を歩んで、主観的に、わたしたちの神となられます。それは、わたしたちが神にあずかり(Iテモテ3:15のノート3)、神の民となって、生き生きと神を経験するためです。 |
2コリ 6:17 注1 |
これは実行上、神へ連れ戻され、神に和解することです(5:20)。実行上、神へ連れ戻され、神に和解することは、神に属さないすべての人、事、物から分離されることを要求します。 |
2コリ 6:17 注2 |
14節から16節(14―16節)に挙げられているような、不法、暗やみ、ベリアル、偶像などに属するものです。 |
2コリ 6:17 注3 |
これは神が、ご自分に連れ戻され、完全に和解した信者たちを、喜んで受け入れられることです。 |
2コリ 6:18 注1 |
神がわたしたちの父となり、わたしたちが神の息子、娘となることは、命の事柄です。これは、神がわたしたちの神であり、わたしたちが神の民である(16節)ことよりも、さらに深いです。 |
2コリ 6:18 注2 |
新約聖書で、神が娘を持っておられることを示す箇所はここだけです。他の部分では、信者たちが神の息子であることを告げています。 |
2コリ 7:1 注1 |
これは、この節が、第6章14節から18節(6:14―18)の最後の部分に対する結論であることを示します。 |