出典 |
フットノート |
2コリ 9:12 注1 |
祭司の奉仕。ピリピ第2章25節(ピリピ2:25)のノート3を参照。 |
2コリ 9:13 注1 |
ユダヤにいる窮乏の聖徒たちが、異邦人信者たちから供給されたことの実証。「実証」のギリシャ語は、「テスト」、「試み」、「実験」を意味します(参照,2:9とノート1)。それゆえに実証、確証です。聖徒たちへの供給は、聖徒たちによってテストされ、試みられ、実証されて、その供給が惜しみなく行なわれることが証明されます。 |
2コリ 9:13 注2 |
あるいは、交流(参照,ローマ12:13の「顧み」、ピリピ4:15の「分かち合った」)。これは供給のことを言っており、それは異邦人信者とユダヤにいる信者との交わりです。 |
2コリ 9:14 注1 |
すなわち、計り知れない。 |
2コリ 9:14 注2 |
第8章1節(8:1)のノート1と6節(8:6)のノート2を参照。 |
2コリ 9:15 注1 |
文字どおりには、語り尽くせない。 |
2コリ 9:15 注2 |
すなわち、信者たちに与えられた恵み。 |
2コリ 10:1 注1 |
ここの「しかし」は対比を示します。第8章と第9章で使徒は、コリントにいる親愛な信者たちに喜ばしく語り、ユダヤにいる窮乏の聖徒たちへの供給と交わりを持つよう、彼らを励ましました。その直後、彼は厳しい、喜ばしくない言葉で、彼の使徒職、使徒の権威を弁明することによって、自らを彼らに対して、さらにはっきりさせることを願いました。これは、ユダヤ教の偽使徒たち(11:11―15)によって引き起こされた、あいまいで、はっきりしない状況のゆえに必要でした。コリントの信者たちは、偽使徒たちの教えと彼ら自身についての主張によって、本物の使徒たちの基本的な教えから、特に使徒としてのパウロの立場に対する正しい認識からそらされていました。 |
2コリ 10:1 注2 |
柔和であるとは、人に対して温和であって、抵抗したり争ったりしないことです。これは、使徒がキリストに堅く結び付けられて(1:21)、彼と一つであり、彼によって生き、彼の美徳の中で振る舞っていたことを示します。 |
2コリ 10:1 注3 |
謙そん、謙譲、近づきやすいことを示します。ピリピ第4章5節(ピリピ4:5)のノート2とIテモテ第3章3節(Iテモテ3:3)のノート3を参照。 |