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出典

フットノート

マタイ 12:40 注1 地の中心とは、地のさらに低い所(エペソ4:9)、あるいはハデス(使徒2:27)と呼ばれ、主が彼の死の後に行かれた所です。ハデスは、旧約のシェオールと等しく(参照、11:23のノート1)、そこには二つの部分、苦しみの部分と慰めの部分があります(ルカ16:23―26)。慰めの部分はパラダイスであり、主が救われた強盗と共に、十字架上で死んだ後に行かれた所です(ルカ23:43)。ですから、「地の中心」、「地のさらに低い所」、「ハデス」、「パラダイス」は、同じ意味を持つ言葉で、主が彼の死後、彼の復活の前の三日三晩、滞在された場所を言います。
マタイ 12:41 注1 ギリシャ語は、42節(42節)も同じで、「量と質でまさっている」ことを意味します。ですから、さらに偉大なことを意味します。それは6節(6節)の「よりも大いなる」とは違います。これは、「寸法や度量が大きい」を意味します。キリストは、神によって彼の民に遣わされた預言者として(申18:1518)、預言者ヨナにまさるものです。ヨナはイスラエルから異邦人に転向した預言者であり、大魚の腹の中に入れられました。そこに三日間とどまった後、彼はそこから出て来て、その世代に対する悔い改めのしるしとなりました(ヨナ1:2173:2―10)。これはキリストの予表です。彼はイスラエルから異邦人に転向し、三日間、地の中心に葬られ、それから復活し、この世代にとって救いのしるしとなられました。
マタイ 12:42 注1 41節(41節)のノート1を参照。キリストはダビデの子、王として、ソロモンにまさるものです。ソロモンは神の宮を建造し、知恵の言葉を語りました。彼の所に、異邦の女王が来ました(列王上6:210:1―8)。これもキリストの予表です。彼は神の宮である召会を建造しており、知恵の言葉を語っておられます。異邦人の追い求める者たちは、彼に来ます。
 この予表と41節(41節)の予表はいずれも、キリストが、神に遣わされた預言者として、また神に油塗られた王として、18節(18節)と21節(21節)で予言されたように、イスラエルから異邦人へ向かわれることを示しています。
 歴史によれば、ソロモン王は預言者ヨナに先立ちました。しかし霊的意義によれば、マタイに記録されたように、ヨナが先に来ました。これも、マタイの記録が歴史の順序によらず、教理の順序にしたがっていることを証明します(参照、8:16のノート1の第二段落)。教理によれば、キリストはまず死んで復活しなければなりません。そして、彼は召会を建造し、知恵の言葉を語られます。キリストの死と復活は、ユダヤ人にとっても異邦人にとっても、この世代に対する実際のしるしです(Iコリント1:2224)。
マタイ 12:43 注1 汚れた霊、悪鬼は(22節)休息を求めますが、水のない場所では見いだすことができません。なぜなら、創世記第1章2節(創1:2)の水による神の裁きの後、悪鬼は海に住んだからです(参照、創世記のライフスタディメッセージ2)。悪鬼は乾いた所では休息する所を見つけることができないので、もともと占領していた人の体に戻り、そこに住み着きます(44―45節)。
マタイ 12:45 注1 教理的には、43節(43節)は22節(22節)に続きます。その間に、ユダヤ人のキリストを拒絶することと、キリストが彼らを放棄することの記録があります。ここで主は、拒絶するユダヤ人の邪悪な世代を、悪鬼にとりつかれた人にたとえられました。主の目に、拒絶するユダヤ人は悪鬼にとりつかれた人のようでした。ヨナとソロモンの二つのしるしは、異邦人は悔い改めること、しかし悪鬼にとりつかれた人の場合、拒絶するユダヤ人は悔い改めないことを示します。彼らはよごれた所を掃除し、自分たちを美化するために良い物を付け加えて飾り付けるだけで、自分たちを満たすためにキリストを受け入れようとしません。むしろ、彼らは空虚でむなしいままです。これは今日のユダヤ人の真の状態です。この時代の終わりに近づくと、彼らは七倍の悪鬼にとりつかれ、彼らの状態は、初めよりもさらに悪くなるでしょう。
マタイ 12:48 注1 これは、天の王が肉におけるユダヤ人との関係を放棄されたことを示します。この章で、ユダヤ人がキリストを拒絶することは極みに達し、その結果、キリストは彼らを完全に放棄するに至りました。この時点で、彼らとキリストとの間に断絶が始まりました。そして彼らはキリストから引き離されました(ローマ11:1719―20)。
マタイ 12:50 注1 ユダヤ人との断絶の後、キリストは異邦人に転向されました。その時、彼と彼に従う者との関係は、もはや肉においてではなく、霊における関係でした。彼の父のみこころを行なう者はだれでも、彼を助ける兄弟、彼に同情する姉妹、優しく愛する母です。
マタイ 13:1 注1 第12章の終わりで、天の王はユダヤ人指導者たちによって完全に拒絶され、彼らと断絶するに至りました。その日、彼は家から出て海辺に座られました。これは非常に意義深いです。家はイスラエルの家を象徴し(10:6)、海は異邦人世界を象徴します(ダニエル7:317啓17:15)。王が家から出て海辺に座られるとは、ユダヤ人との断絶の後、彼がイスラエルの家を放棄して異邦人に転向されたことを象徴します。彼が海辺で王国の奥義についてたとえを語られたのは、この後のことです。これは、王国の奥義が、召会の中で啓示されたことを象徴します。ですから、この章のすべてのたとえは、ユダヤ人に対してではなく、彼の弟子たちに対して語られたのです。
マタイ 13:2 注1 舟は海の中にありましたが、海に属しません。これは、召会がこの世にあるのに、この世に属さないことを象徴します。天の王国の王が、ユダヤ人を放棄して異邦人に転向した後、たとえで王国の奥義を啓示されたのは舟の中、召会の中ででした。
マタイ 13:3 注1 王国の奥義に関する七つのたとえのうち、主は最初のものを始める時、他の六つのたとえでのように(24313344―4547節)、「天の王国は・・・・のようなものである(あるいは、のようなものになった)」とは言われませんでした。なぜなら、天の王国は第二のたとえから始まったからです。第一のたとえでは、主は王国のために種をまきに出て行かれただけです。種は成長して作物となり、王国を形成するほどにはなっていませんでした。主がその時、宣べ伝えられたように、王国はまだ来ておらず、近づいていただけです(4:17)。
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