出典 |
フットノート |
2コリ 10:7 注1 |
これは、キリストのものであるのが重要な事であることを意味します。それは、クリスチャン生活と務めにとって極めて重大です。 |
2コリ 10:8 注1 |
使徒の権威は、人の天然の観念のように、信者たちを支配するためではなく、彼らを建て上げるためです。 |
2コリ 10:10 注1 |
Iコリント第2章3節(Iコリント2:3)のノート1を参照。 |
2コリ 10:10 注2 |
あるいは、取るに足りない。文字どおりには、無いものとされた。 |
2コリ 10:13 注1 |
使徒は大胆でしたが、限度を越えていませんでした。これは、彼が主の制限の下にあったことを示します。彼が誇ることは、測りなわの神、統治する神が、彼に割り当てられた尺度の度量にしたがっていました。 |
2コリ 10:13 注2 |
コリントを含めた異邦人世界に対するパウロの務めは、神の度量にしたがっていました(エペソ3:1―2,8.ガラテヤ2:8)。ですから、彼の誇りは、この制限の中にありました。それは、ユダヤ人宣教者が度量を越えて誇ったのとは対照的でした。 |
2コリ 10:13 注3 |
文字どおりには、測りざお。大工の物差しのようなもの。 |
2コリ 10:14 注1 |
ユダヤ人宣教者たちが行なったように。 |
2コリ 10:15 注1 |
大きくされ、増し加えられることによって。使徒たちは、コリントの信者たちの信仰が成長して、使徒たちの務めが豊かに広げられ、増し加えられることによって、(賞賛を受けるという意味で)拡大されることを望んでいました。しかし、それはやはり、神が彼らに割り当てられた尺度、度量にしたがってでした。 |
2コリ 11:1 注1 |
使徒が強いられて行なう自己弁明と誇りのことを、皮肉的に言っています。 |