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出典

フットノート

2コリ 12:3 注2 幾つかの写本では、から離れて。
2コリ 12:4 注1 これはハデスの心地よい楽しい部分です。そこにはアブラハムや他のすべての義人たちの霊があり、彼らはそこで復活を待っています(ルカ16:22―23,25―26)。主イエスは、死なれた後そこへ行って、復活するまでとどまられました(ルカ23:43使徒2:24,27,31エペソ4:9マタイ12:40)。このパラダイスは、啓示録第2章7節(啓2:7)のパラダイスとは異なります。そこのパラダイスは、千年期における新エルサレムです。使徒はこの区分で、彼が受けた啓示の卓越性について語りました。宇宙にはおもに三つの部分、天、地、地の下にあるハデスがあります(エペソ4:9)。使徒は、地上に生きている人として、地上の事を知っていました。ところが人は、天上の事やハデスにある事を知りません。しかし、使徒はこれら知られていない両方の場所に奪い去られました。ですから彼は、これら隠されている領域の見せられた事と啓示を受けました。こういうわけで、彼は宇宙にあるこれら二つの究極の部分のことを述べたのです。
2コリ 12:7 注1 あるいは、超越した豊富、卓越した偉大さ、過剰。
2コリ 12:7 注2 「古典ギリシャ語では頻繁に、くい、柱の意味に使われた」(ビンセント)。あるいは「先の鋭くとがった杖」(アルフォード)。ここでは、彼の目の病のような、肉体的苦痛を言っているのでしょう(ガラテヤ4:15のノート2)。
2コリ 12:7 注3 こぶしで打つ。コリント人への第一の手紙第9章27節(Iコリント9:27)の「打ちたたき」とは異なります。そこの「打ちたたき」は、「目の下を打つ」ことを意味します。
2コリ 12:9 注1 Iコリント第15章10節(Iコリント15:10)のノート1を参照。苦難や試練はしばしば、わたしたちがキリストを恵みと力として経験するために、主が定められます。ですから、使徒が懇願したにもかかわらず、主はそのとげを、使徒から取り除こうとはされなかったのです。
2コリ 12:9 注2 主の恵みの十分さが大きく表現されるには、わたしたちが苦難を受ける必要があります。主の力の完全さが現されるには、わたしたちの弱さが必要とされます。ですから、使徒は彼の弱さを、大いに喜んで誇ることができたのです。それはキリストの力が、彼の上に幕屋を張るためでした。恵みは供給です。そして力は恵みの強さ、能力です。両方とも、復活されたキリストです。このキリストは、今や命を与える霊と成って、わたしたちの中に住んでおられ(Iコリント15:45ガラテヤ2:20)、わたしたちの享受となられます。
2コリ 12:9 注3 ギリシャ語の「上に幕屋を張る」は、二つの言葉で構成された複合動詞です。最初の言葉は「上に」を意味します。次の言葉は「幕屋の中に住む」を意味し、ヨハネによる福音書第1章14節(ヨハネ1:14)と啓示録第21章3節(啓21:3)で使われています。ここの複合動詞は、「天幕をその上に張る、あるいは住まいをその上に固定する」を意味します。それは、いかにしてキリストの力、キリストご自身が、わたしたちの上を覆う天幕のように、わたしたちの上に住まわれ、弱さの中にあるわたしたちを覆ってくださるかを描写しています。
2コリ 12:10 注2 あるいは、虐待。
2コリ 12:10 注3 あるいは、強制。すなわち、強く圧迫する緊急の必要。Iコリント第7章26節(Iコリント7:26)のノート2を参照。
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