出典 |
フットノート |
ガラ 2:3 注1 |
これは、パウロが主の証しのために行動する上で、律法の順守を顧慮しなかったことを示します。 |
ガラ 2:3 注2 |
ユダヤ教は、神が与えられた律法の上に建てられていました。この律法には、三本の柱がありました。それは割礼、安息日、聖なる食事の規定です。三つとも神によって定められましたが(創17:9―14.出20:8―11.レビ第11章)、それは来たるべき事柄の影としてでした(コロサイ2:16―17)。割礼は、キリストの十字架が肉を脱ぎ去らせることの影であって、バプテスマで象徴されています(コロサイ2:11―12)。安息日は、民の安息としてのキリストの予表でした(マタイ11:28―30)。聖なる食事は、清い人と清くない人、神の聖なる民が接触すべき人、接触すべきでない人を象徴します(使徒10:11―16,34―35)。キリストが来られたからには、これらの影はすべて終わるべきでした。ですから、安息日の規定は、主イエスによって彼の務めの中で廃棄され(マタイ12:1―12)、聖なる食事の規定は、ペテロの務めの中でその霊によって無効にされ(使徒10:9―20)、割礼は、パウロが彼の務めの中で受けた啓示の中で無とされました(5:6.6:15)。さらに、律法、ユダヤ教の基盤は、キリストによって終わらせられ、置き換えられました(ローマ10:4.ガラテヤ2:16)。こうして、ユダヤ教全体が終わったのです。 |
ガラ 2:4 注1 |
これはユダヤ教宣教者のことです。彼らは召会の中に律法の順守をこっそりと持ち込んで、キリストの福音を曲げてしまい、キリストにある真の兄弟たちをかき乱しました(1:7)。 |
ガラ 2:4 注2 |
律法の束縛からの自由です。キリスト・イエスにあるこの自由は、以下のことを含みます:(1)律法の束縛から解放される、これは、律法とその規定、実行、おきてに対する責任からの自由を暗示する、(2)十分な満足と、豊かな、支える供給を得る、(3)真の安息を享受し、律法を守るという重荷の下にはいない、(4)生けるキリストを完全に享受する。 |
ガラ 2:4 注3 |
律法の下にある奴隷の身分。 |
ガラ 2:5 注1 |
福音の教理や教えではなく、福音の実際です。 |
ガラ 2:9 注1 |
使徒たちが列記される時、ペテロは普通、最初に述べられていました(マタイ10:2.マルコ3:16.ルカ6:14.使徒1:13)。しかしここでは、ヤコブが最初に述べられています。これは当時、ペテロが召会の中で先頭の指導者ではなく、主の兄弟ヤコブであったことを示します(1:19)。これは、使徒行伝第15章13節から21節(使徒15:13―21)で確認されます。そこでは、エルサレムで開かれた会議において、最終の決定的な言葉を与えた権威は、ペテロではなくヤコブでした。ヤコブが前面に出て、使徒たちの間で先頭に立つようになったのは、パウロが11節から14節(11―14節)で説明しているように、福音の真理を固く保っていなかったという、ペテロの弱さのゆえであったに違いありません。ですから、12節(12節)と使徒行伝第21章18節(使徒21:18)では、ヤコブがエルサレムに在る召会と使徒たちの代表と見なされました。これは、ペテロがいつも召会の先頭の指導者ではなかったことの強い証拠です。さらにこれは、召会の中のリーダーシップが、組織的なものでも永続的なものでもなく、霊的であって、指導者たちの霊的状態にしたがって変動するものであることを示します。それは、ペテロは召会の行政におけるキリストの唯一の後継者であったと、カトリックが主張することに対する強力な反論となります。 |
ガラ 2:12 注1 |
すなわち、エルサレムに在る召会から。これもまた、その当時、エルサレムの使徒たちの第一人者が、ペテロではなくヤコブであったことを示します。 |
ガラ 2:12 注2 |
これは、律法の規定を守っていたユダヤ人の習慣に反していました。 |
ガラ 2:12 注3 |
これはその時ペテロが、純粋なクリスチャンの信仰において非常に弱かったことを証明します。使徒行伝第10章で、彼は異邦人との交わりに関して、天からの極めて明確な幻を受け、率先してそれを実行したのでした。割礼の者たちを恐れ、しりごみして、異邦人信者と共に食事をしなくなるとは、何という弱さと後退でしょう! 彼が使徒たちの間でリーダーシップを失ったのも、不思議ではありません。 |