出典 |
フットノート |
ガラ 3:2 注3 |
律法は、神の旧約エコノミーの中で、人と神との関係にとって基本的な条件でした(23節)。信仰は、神が人と共に新約エコノミーを遂行する唯一の道です(Iテモテ1:4)。律法は肉と関係があり(ローマ7:5)、肉の努力に依存します。その肉とは、まさに「わたし」の表現です。信仰はその霊と関係があり、その霊の活動に信頼します。その霊は、キリストの実際化です。旧約では、「わたし」と肉が律法を守ることで、重要な役割を果たしました。新約では、キリストとその霊が「わたし」と肉の地位を奪い、信仰が律法に置き換わります。それは、わたしたちがその霊によってキリストを生きるためです。肉によって律法を守るのは、人の天然の方法です。それは人の観念の暗やみの中にあり、その結果は死と邪悪です(ローマ7:10―11,24)。信仰を聞くことによってその霊を受けるのは、神の啓示された道です。それは神の啓示の光の中にあり、その結果は命と栄光です(ローマ8:2,6,10―11,30)。ですから、わたしたちは律法の行ないではなく、信仰を聞くことを重んじなければなりません。わたしたちがその霊を受けるのは、信仰を聞くことによってです。それは、わたしたちが神の約束された祝福にあずかり、キリストを生きるためです。この章の7(7節)、8(8節)、9(9節)、11(11節)、12(12節)、23(23節)、24(24節)、25節(25節)で述べられた信仰は、この信仰です(参照,1:23のノート2)。 |
ガラ 3:3 注2 |
復活したキリストであるその霊は、命に属し、肉、すなわち、わたしたちの堕落した人は、罪と死に属します。わたしたちはその霊で始まったのに、肉によって完成されようとするべきではありません。その霊によって始まったのですから、その霊によって完成されるべきであり、肉とは何の関係もあってはなりません。第2章20節(2:20)での対比はキリストと「わたし」ですが、ここでの対比はその霊と肉です。これは、わたしたちの経験の中で、その霊はキリストであり、肉は「わたし」であることを示します。第3章からこの書簡の終わりまで、その霊はわたしたちの命の経験におけるキリストです。啓示では、それはキリストであり、経験では、その霊です。 本書全体で、肉は罪に定められ、拒絶されています(1:16.2:16.3:3.4:23,29.5:13,16―17,19,24.6:8,12―13)。そして第3章からは各章ごとに、肉とその霊の対比を与えています(3節.4:29.5:16―17,19,22.6:8)。肉は堕落した三部分から成る人の極限的表現であり、その霊は手順を経た三一の神の究極的な実際化です。肉は律法を守ることに傾き、そして律法によってテストされます。その霊は信仰によって受けられ、享受されます。神のエコノミーは、わたしたちを肉からその霊に救い出して、三一の神の豊富な祝福にあずからせます。これは、律法を守る肉によっては起こり得ないことであり、信仰によって受け、信仰を通して経験するその霊によって起こり得ることです。 |
ガラ 3:3 注1 |
その霊によって始まるとは、キリストにある信仰によって始まることです。肉によって完成されるとは、律法の行ないによって完成されることです(2節)。 |
ガラ 3:3 注2 |
復活したキリストであるその霊は、命に属し、肉、すなわち、わたしたちの堕落した人は、罪と死に属します。わたしたちはその霊で始まったのに、肉によって完成されようとするべきではありません。その霊によって始まったのですから、その霊によって完成されるべきであり、肉とは何の関係もあってはなりません。第2章20節(2:20)での対比はキリストと「わたし」ですが、ここでの対比はその霊と肉です。これは、わたしたちの経験の中で、その霊はキリストであり、肉は「わたし」であることを示します。第3章からこの書簡の終わりまで、その霊はわたしたちの命の経験におけるキリストです。啓示では、それはキリストであり、経験では、その霊です。 本書全体で、肉は罪に定められ、拒絶されています(1:16.2:16.3:3.4:23,29.5:13,16―17,19,24.6:8,12―13)。そして第3章からは各章ごとに、肉とその霊の対比を与えています(3節.4:29.5:16―17,19,22.6:8)。肉は堕落した三部分から成る人の極限的表現であり、その霊は手順を経た三一の神の究極的な実際化です。肉は律法を守ることに傾き、そして律法によってテストされます。その霊は信仰によって受けられ、享受されます。神のエコノミーは、わたしたちを肉からその霊に救い出して、三一の神の豊富な祝福にあずからせます。これは、律法を守る肉によっては起こり得ないことであり、信仰によって受け、信仰を通して経験するその霊によって起こり得ることです。 |
ガラ 3:3 注1 |
その霊によって始まるとは、キリストにある信仰によって始まることです。肉によって完成されるとは、律法の行ないによって完成されることです(2節)。 |
ガラ 3:4 注1 |
ガラテヤ人は、キリストにある彼らの信仰のゆえに、迫害を受けました。この迫害は、彼らをユダヤ宗教と異教の習慣から、キリストに向かわせました。 |
ガラ 3:5 注2 |
これはすべてを含む調合された霊であって、出エジプト記第30章23節から25節(出30:25)の調合された塗り油によって予表されています。それはヨハネによる福音書第7章39節(ヨハネ7:39)に述べられているその霊、すなわち復活における命を与えるキリストです。神のエコノミーの中にある信者たちにとって、この霊は満ちあふれる供給です。この霊の供給は、律法の行ないによってではなく、十字架につけられ、栄光を受けられたキリストの信仰によってです。 |
ガラ 3:5 注1 |
ギリシャ語は、十分に、あふれるばかり、大量に供給することを意味します(参照,ピリピ1:19)。神の側では、彼はその霊をあふれるばかりに供給されます。わたしたちの側では、わたしたちはその霊を受けます。日ごとに、驚くべき神聖な伝達が起こっています。神は供給され、わたしたちは受けます。自分自身をこの天的な伝達に開いて、すべてを含む、命を与える霊の供給を受ける道は、わたしたちの霊を活用して祈り、主の名を呼ぶことです。 |
ガラ 3:5 注3 |
文字どおりには、活動しておられる。 |
ガラ 3:5 注4 |
神の敵、サタンは、神のエコノミーをざ折させようと企て、律法を利用します。律法は、一時的にご自身の目的に役立てるために、神によって与えられました。サタンは律法を利用して、神の選びの民を神のエコノミーから引き離し、そらします。律法は、それが利用されて人の堕落した願望をかき立てる時、誤用されます。その願望とは、律法を守ることによって自己を高め、自ら作った義を得ようとすることです。 |