出典 |
フットノート |
ガラ 4:17 注2 |
尊敬すべき、推奨できる方法でではなく。 |
ガラ 4:17 注3 |
すなわち、あなたがたを福音の正当な宣べ伝えから、恵みの福音から引き離してしまう。 |
ガラ 4:17 注4 |
すなわち、熱心に彼らに言い寄る。 |
ガラ 4:18 注1 |
良い事で、あるいは正しい福音の宣べ伝えにおいて、熱心に言い寄るのは、いつであっても結構です。しかしながら、これは、パウロが彼らと共にいる時だけのことではありません。この言葉によって、パウロは、他の人がガラテヤ人に福音を宣べ伝えるのを禁じるような、狭い者ではないことを示しました。それどころか、彼は他の人の宣べ伝えを喜んでいました(ピリピ1:18)。 |
ガラ 4:19 注1 |
パウロは自分自身を生む父親と考え、ガラテヤの信者たちを、キリストにあって彼が生んだ子供と考えました(参照,Iコリント4:15.ピレモン1:10節)。 |
ガラ 4:19 注3 |
キリスト、生けるパースンが、パウロの福音の焦点です。パウロの宣べ伝えは、文字の律法を教えることとは大いに異なり、信者の中に、キリスト、生ける神の子を生み出すことです。ですからこの書は、キリストに焦点づけられています。キリストは十字架につけられて(3:1)、わたしたちを律法ののろいから贖い出し(3:13)、この世の悪い宗教的潮流から救い出されました(1:4)。そして彼は、死人の中から復活されました(1:1)。それは彼が、わたしたちの中に生きるためでした(2:20)。わたしたちは彼の中へとバプテスマされ、彼と結合されて一つにされ、彼を着て、彼をまといました(3:27)。こうして、わたしたちは彼の中にあり(3:28)、そして彼のものとなりました(3:29.5:24)。もう一方で、彼はわたしたちの中に啓示され(1:16)、今やわたしたちの内に生きておられ(2:20)、内に形づくられるでしょう(19節)。律法は彼へとわたしたちを導きました(3:24)。彼の中で、わたしたちはみな神の子たちです(3:26)。彼の中でこそ、わたしたちは神の約束された祝福を受け継ぎ、すべてを含む霊を享受します(3:14)。さらに、彼の中で、わたしたちはみな一です(3:28)。わたしたちは彼からすべての益を奪われ、こうして彼から引き離されてはなりません(5:4)。わたしたちは彼を生きるために、彼が霊の中に(6:18)、彼の恵みを供給してくださることを必要とします。 |
ガラ 4:19 注4 |
パウロが最初、ガラテヤの信者たちに福音を宣べ伝えたことを通して、彼らが再生された時、キリストは彼らの中へと生まれましたが、彼らの内に形づくられてはいませんでした。ここで使徒は、キリストが彼らの内に形づくられるために、再び産みの苦しみをしていました。キリストがわたしたちの内に形づくられるとは、キリストがわたしたちの中で完全に成長することです。キリストはまず、わたしたちが悔い改めて彼を信じた時に、わたしたちの中へと生まれました。次にクリスチャン生活の中で、彼はわたしたちの中に生きてくださいます(2:20)。最後に、わたしたちが円熟する時、彼はわたしたちの内に形づくられるでしょう。キリストが内に形づくられる必要があるのは、わたしたちが成人した子たちとなり、神の約束された祝福を受け継ぐ相続人となって、神聖な子たる身分の中で円熟するためです。 |
ガラ 4:19 注2 |
出産の時の陣痛の苦しみ。この隠喩で、彼は自分自身を、子を産む母親にたとえました。彼は初めてガラテヤ人に福音を宣べ伝えた時、彼らを再生するために、このように労苦しました。彼らはパウロが宣べ伝えた福音からそれてしまったので、キリストが彼らの内に形づくられるまで、パウロは再び産みの苦しみをしていました。 |
ガラ 4:20 注2 |
文字どおりには、声。 |
ガラ 4:20 注1 |
使徒は彼の語調を、厳格なものから愛情あるものへ、母親が自分の子供に愛情こめて語りかけるように、変えたいと願いました。 |