出典 |
フットノート |
ガラ 5:2 注1 |
ユダヤ教宣教者、偽兄弟たちは、割礼を救いの条件としました(2:3―5.使徒15:1)。第2章3節(2:3)のノート2を参照。 |
ガラ 5:2 注2 |
もしガラテヤの信者たちが割礼を受け、それを救いの条件とするなら、キリストは彼らにとって、何の益にもならないでしょう。なぜなら律法に戻ることによって、彼らは自動的に、キリストを放棄してしまうからです。 |
ガラ 5:4 注1 |
すなわち、無に陥り、キリストから離される。キリストからのすべての益を失い、こうして彼から離され(ダービーの新訳)、彼を無効なものとする。律法に戻るのは、キリストから断ち切られ、キリストから離され、無にもたらされることです。 |
ガラ 5:4 注2 |
キリストから離され、無にもたらされるとは、恵みから落ちることです。これは、わたしたち信者が置かれている恵みが、まさにキリストであることを示します。 |
ガラ 5:5 注1 |
「肉によって」(3:3)と対比しています。 |
ガラ 5:5 注2 |
「律法の行ないによる」(3:2)と対比しています。 |
ガラ 5:5 注3 |
わたしたちが待ち望んでいる義は、キリストご自身です(Iコリント1:30)。それは肉の中の、律法の行ないによるのではなく、その霊の中の、信仰によります。 |
ガラ 5:6 注1 |
すなわち、何の効果も、何の実際的な力もない。 |
ガラ 5:6 注3 |
愛は、わたしたちがキリストを評価することと関係があります。そのように評価することなしに、信仰は働きません。信仰を聞くことは、愛するという評価を引き起こします。そしてわたしたちが主を愛すれば愛するほど、ますます信仰は働き、すべてを含む霊の豊富と益の中にわたしたちをもたらします。 |
ガラ 5:6 注2 |
生ける信仰は活動的です。それは愛を通して働き、律法を成就します(14節)。割礼は単に外側の規定であって、命の力を持っていません。ですからそれは、何の役にも立ちません。信仰は命の霊を受けます(3:2)。ですからそれは、力に満ちています。信仰は愛を通して働き、律法だけでなく、神の目的を成就します。すなわち、神の団体の表現―キリストのからだのために、神の子たる身分を完成します。 |