出典 |
フットノート |
ガラ 5:16 注1 |
ここのギリシャ語は、「歩き回る」、「自由に歩く」を意味します。ですからそれは、日常生活の中で振る舞い、動き、行動することであって、一般の、習慣的な日常の歩みを示します(参照,ローマ6:4.8:4.ピリピ3:17―18)。 |
ガラ 5:16 注2 |
この章の文脈によれば、ここのその霊は、聖霊であるに違いありません。この聖霊は、わたしたちの再生された霊の中に住んで、それと混ざり合われます。その霊によって歩くとは、わたしたちの歩みが、わたしたちの霊の内側から、聖霊によって規制されることです。これは、わたしたちの歩みが、肉の領域で、律法によって規制されることと対比しています。第3章3節(3:3)のノート2を参照。 肉は、堕落した三部分から成る人の極限的表現です(創6:3)。その霊は、手順を経た三一の神の究極的実際化です(ヨハネ7:39)。キリストの贖いとその霊の再生する働きのゆえに、神の分与を受けたわたしたちは、肉によって、わたしたちの堕落した人によってではなく、その霊によって、手順を経た三一の神によって、歩くことができます。パウロが本書を書いたのは、消極面で、そらされたガラテヤの信者たちを律法から救い出し、さらに積極面で、信者たちがすべてを含む、命を与える霊を彼らの霊の中に持っていることを認識させ、彼らがこの霊の中で生き、歩き、行動するためです。 |
ガラ 5:17 注1 |
「肉」と「その霊」については、第3章3節(3:3)のノート2、第5章19節(5:19)のノート1、22節(5:22)のノート1を参照。 |
ガラ 5:17 注2 |
16節(16節)のノート2を参照。 |
ガラ 5:17 注3 |
ローマ第7章23節(ローマ7:23)のノート2を参照。 |
ガラ 5:18 注1 |
律法はわたしたちの肉と関係があり(ローマ7:5)、そしてわたしたちの肉はその霊に逆らいます(17節)。ですから、その霊は律法と対比します。わたしたちが再生された霊の中のその霊によって歩く時、自分の肉の欲を満たすことはないでしょう(16節)。わたしたちはその霊に導かれる時、律法の下にはいません。文字の律法ではなく、命の霊は、わたしたちを指導する原則であり、わたしたちの再生された霊の中で、クリスチャンの歩みを規制します。 |
ガラ 5:19 注1 |
肉は古いアダムの表現です。古いアダムの堕落した命は、肉の中で具体的に表現されます。肉の働きは、19節から21節(19―21節)に列記されているように、そのような肉の表現のさまざまな面です。淫行、汚れ、好色、泥酔、宴楽は、堕落した体の情欲と関係があります。敵意、争い、しっと、怒りの爆発、党派心、分裂、分派、ねたみは、堕落した魂と関係があり、そして魂は堕落した体と非常に密接な関係があります。偶像礼拝とまじないは、死んだ霊と関係があります。これは、わたしたちの堕落した人の三部分―体、魂、霊がすべて、堕落した邪悪な肉とかかわっていることを証明します。 |
ガラ 5:19 注2 |
淫行、汚れ、好色は一組のもので、邪悪な激情と関係があります。 |
ガラ 5:20 注1 |
偶像礼拝とまじないは一組のもので、悪魔的な礼拝と関係があります。 |
ガラ 5:20 注2 |
敵意、争い、しっと、怒りの爆発は一組のもので、邪悪な情緒と関係があります。 |