出典 |
フットノート |
ガラ 5:26 注1 |
これは、25節(25節)のその霊による歩みの結果です。虚栄、いどみ合い、ねたみ合いはすべて、肉のものです(参照,24節)。虚栄は、いどみ合いとねたみ合いを引き起こします。わたしたちがその霊によって、虚栄を殺すのでしたら、いどみ合いやねたみ合いは自動的に終わらせられ、その結果、平安になるでしょう。これら三つの事は、とても実際的に、わたしたちがその霊によって歩いているかどうかをテストします。 |
ガラ 6:1 注1 |
すなわち、その霊によって生き、歩く(5:25)。 |
ガラ 6:1 注2 |
聖霊が内住し、聖霊と混ざり合った、わたしたちの再生された霊。柔和の霊は、その霊によって生き、歩いた結果です(5:16,25)。 |
ガラ 6:2 注1 |
愛を通して働く、さらに高い、さらにまさった命の法則(ローマ8:2.ヨハネ13:34)。愛は神聖な命の結果であり、表現であり(参照,Iコリント第13章)、その霊の実の一つの項目です(5:22)。キリストの律法は、愛の法則であり、わたしたちが互いに重荷を負い合うことができるように、命の霊の法則によって具体化されなければなりません。 |
ガラ 6:3 注1 |
自分をひとかどの者と考えている人は、他の人の重荷を負わないでしょう。自分を何者でもないと考える人だけが、その霊の中を歩き、その霊によって歩いている自然の結果として、他の人の重荷を負うでしょう。 |
ガラ 6:6 注1 |
この生活、日常生活に必要な良いもの。 |
ガラ 6:7 注1 |
これは再び、ユダヤ教宣教者の虚偽の教えを言っています。それはガラテヤ人を、彼らの霊の中のその霊から、肉によって律法を守ることへそらせました。 |
ガラ 6:8 注2 |
第3章3節(3:3)のノート2、第5章19節(5:19)のノート1、22節(5:22)のノート1を参照。 |
ガラ 6:8 注1 |
をもくろんで、あるいは、のために。自分の肉へとまくとは、自分の肉のために、肉の願望と目的をもくろんで、肉がむさぼるものを満たそうとしてまくことです。その霊へとまくとは、その霊のために、その霊の願いと目的をもくろんで、その霊が願われるものを達成しようとしてまくことです。わたしたちが行なうことは、すべてわたしたちの肉へとまくことか、その霊へとまくことかのいずれかです。そしてまくことの結果として、肉から腐敗を刈り取るか、あるいは、その霊から永遠の命を刈り取ります。 |
ガラ 6:8 注2 |
第3章3節(3:3)のノート2、第5章19節(5:19)のノート1、22節(5:22)のノート1を参照。 |