出典 |
フットノート |
ガラ 6:18 注3 |
しっ責された愚かなガラテヤ人(3:1)は、すでに何度となく、この親密な言葉で呼びかけられました(1:11.3:15.4:12,28,31.5:11,13.6:1)。こんなに厳格な、しっ責し、警告する手紙の結びで、使徒はこの愛の言葉を再び用いました。特にそれを文末に置いて、彼らに対する彼の変わらない愛を表現し、彼らはなおも信仰の家族(10節)の中で彼の兄弟たちであると、彼らに確信させました。 |
ガラ 6:18 注1 |
イエス・キリストの恵みとは、わたしたちが人の霊を活用して享受した、三一の神の満ちあふれる供給です(彼は御子の中に化身され、命を与える霊として実際化されました)。 |
ガラ 6:18 注2 |
これは、その霊が内住しておられる、わたしたちの再生された霊です。その霊は、神が約束された祝福の焦点であって、本書全体で、何度も強調されてきました。わたしたちがその霊を、新約の中心的な祝福として経験し、享受するのは、わたしたちの霊の中でです。ですから、主の恵み、すなわち、すべてを含む霊の満ちあふれる供給が(ピリピ1:19)、わたしたちの霊と共にあることが必要です。 キリスト、その霊、新創造、わたしたちの霊は、神のエコノミーの基本的思想として、本書の中で啓示された四つの基礎的事柄です。キリストは神のエコノミーの中心であり、その霊はキリストの実際です。キリストがその霊を通して、わたしたちの霊の中で実際化される時、わたしたちは新創造となります。ですから、わたしたちの霊は、わたしたちが新創造の命を生きて、神の目的を成就するために絶対に必要です。 本書は、十字架と、十字架につけられる経験を強く強調しています。それは、否定的な項目、例えば律法、肉、「わたし」、宗教の世界、奴隷の身分、のろいを対処して、本書に啓示された積極的な項目、キリスト、その霊、神の子たち、約束の相続人、信仰の家族、新創造、神のイスラエルをもたらすためです。本書の要約した思想はこうです、「キリストの十字架を通して、律法、肉、宗教は終わらせられた。それは、わたしたちがその霊、新創造、わたしたちの霊を獲得するためであり、キリストの実際であるその霊を通して、わたしたちの霊の中で新創造となり、イエスの焼き印を帯びるためであり、わたしたちの霊の中で、主イエス・キリストの恵みを享受するためである」。 |
エペソ 1:1 注1 |
本書は、特に召会について語られており、召会を七つの面で啓示しています。(1)キリストのからだ、すべての中ですべてを満たしている方の豊満、表現(23節.4:13).(2)新しい人(2:15)、キリストの命だけでなく、キリストのパースンをも持っている一人の団体の人.(3)神の王国(2:19)―聖徒たちが市民として、その権利を所有し、その責任を担っている.(4)神の家族(2:19)、命と享受に満ちた家.(5)神の住まい(2:21―22)、そこに神が住まわれる。宇宙的には主にある聖なる宮、地方的にはわたしたちの霊の中にある神の住まい.(6)キリストの花嫁、妻(5:24―25)、それはキリストの安息と満足のためである.(7)兵士(6:11―12)、神の敵を対処し、打ち破って、神の永遠の目的を達成する団体の戦士。 本書の特徴は、それが神の永遠の目的から、永遠から、天上から語っていることです。それは新約の中で、キリスト対宗教の啓示(ガラテヤ人への手紙)のすぐ後に位置しています。その後に、キリストを実行的に経験することについての書(ピリピ人への手紙)が続き、かしらなるキリストへと導きます(コロサイ人への手紙)。こうして、これら四冊の書簡は、神の永遠のエコノミーに関する新約の啓示の心臓部です。 |
エペソ 1:1 注2 |
パウロがキリストの使徒とされたのは、人によってではなく、神のみこころによって、神のエコノミーにしたがってでした。この立場は、召会に関する神の永遠のご計画の啓示を、この手紙の中で発表する権威を彼に与えました。召会は、この啓示の上に建造されています(2:20)。 |
エペソ 1:1 注4 |
「エペソにいる」は、最古の写本にはありません。 |
エペソ 1:1 注5 |
忠信な者たちとは、第4章13節(4:13)、テモテへの第二の手紙第4章7節(IIテモテ4:7)、ユダの手紙3節(ユダ1:3節)に述べられているような、その信仰に忠信な者です。 |
エペソ 1:1 注3 |
聖徒たちは、聖とされ、聖別されて、世俗的なあらゆるものから神へと分離された者です。 |
エペソ 1:2 注3 |
わたしたちは神の被造物であり、また神の子たちです。神の被造物としてのわたしたちにとって、神はわたしたちの神です。神の子たちとしてのわたしたちにとって、神はわたしたちの父です。 |
エペソ 1:2 注4 |
わたしたちはまた主に贖われた者です。主に贖われた者として、彼はわたしたちの主です。恵みと平安は、わたしたちの創造主である神から、わたしたちの父から、わたしたちの贖い主である主から、わたしたちに来ます。彼に創造された者、贖われた者、再生された者として、わたしたちは、彼から恵みと平安を受ける地位に置かれています。 |